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==概要==
張作霖の急死により、張学良は父の地位を継承すべく[[瀋陽]]に引き返した。[[7月1日]]、張学良は[[国民革命軍]]に停戦を宣言し、蒋介石の北伐に干渉しないことを表明した<ref name = "nsysu">[http://ef.cdpa.nsysu.edu.tw/ccw/02/1928.htm Republic of China historical annal: 1928] {{webarchive|url=https://web.archive.org/web/20080511144406/http://ef.cdpa.nsysu.edu.tw/ccw/02/1928.htm |date=2008年5月11日 }} under July 1, section A.(中国語版の記事に記載)</ref>。[[満州]]の地に基盤を築いていた[[日本]]は張学良の動きに対して満足していなかった。首相[[田中義一]]は[[林権助]]を派遣し、張学良に対し翻意を迫ったけれども、張学良は日本の要求を拒絶し、中国統一へと動き出した。
 
[[7月3日]]、蒋介石は[[北京市|北京]]に到着し、平和裏に中国統一を行うために派遣された奉天派の代表と会談した。蒋介石が満州を統合することを[[アメリカ合衆国]]は支持していた為、この会談の内容は中国における日米の勢力範囲の奪い合いを反映したものであった。アメリカ合衆国と[[イギリス]]の圧力により日本は外交的に孤立した。