「チャルガ」の版間の差分

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== 共産党体制崩壊後 ==
[[1989年]]、ジフコフ体制は崩壊し、文化に対する統制の時代が終わった。それまで弾圧されていた音楽が芽生えはじめ、チャルガはその息の根を吹き返した。チャルガは公然とマスメディアにも登場するようになり、それまで密かに活動していたミュージシャンたちが注目を浴びるようになった。
 
初期の頃の代表的な歌手はOrkester Kristal の歌手[[トニ・ダチェヴァ]]、そして続いて「チャルガの母」とよばれる[[グロリア (歌手)|グロリア]]、[[デシ・スラヴァ]]、[[イヴァナ (歌手)|イヴァナ]]などの歌手たちが現れた。[[パイネル]]はこのジャンルの音楽を大量にリリースし続けるブルガリアの大手のレコード会社にまで成長した。