「エドワード・S・モース」の版間の差分

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=== 晩年 ===
[[1898年]](明治31年)、東京帝国大学(後の東京大学)における生物学の教育・研究の基盤整備、日本初の学会設立などの功績により、日本政府から勲三等[[旭日章]]を受けた<ref name="ishikawa"/>。[[1902年]]、60歳を越えたモースは、20数年ぶりに動物学の論文の執筆を再開し、[[1908年]]に渡米した石川に対しても「私は陶器も研究しているが、動物学の研究も止めない。」と述べるなど、高齢になっても研究に対する執念は尽きなかった<ref name="ishikawa"></ref>。[[1913年]]、75歳となったモースは、30年以上前の日記とスケッチをもとに、『Japan Day by Day(日本語訳題:日本その日その日)』の執筆を開始。1914年、ボストン博物学会会長となった。1915年、『ピーボディー科学アカデミー』から改名した『[[ピーボディ考古学・民族学博物館|ピーボディー博物館]]』の名誉会長になった。1917年、『Japan Day by Day』を書き終えて出版した。[[1922年]](大正11年)、日本政府から勲二等[[瑞宝章]]を受けた<ref name="sasaki">[[佐々木忠次郎]]「日本動物学の恩人モールス先生」 東京人類学会『人類学雑誌』第41巻第2号 1926年</ref>。
 
1923年(85歳)、[[関東大震災]]による東京帝国大学図書館の壊滅を知り、全蔵書を東京帝国大学に寄付する旨、遺言を書き直した。