「本柳和也」の版間の差分

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{{by|2005年}}は故障のため12試合の登板にとどまったが、防御率は1.40の好成績を収め、プロ初[[セーブ]]も記録した。
 
{{by|2006年}}は[[先発投手|先発]]・[[リリーフ]]で25試合に登板、3勝2敗・防御率3.69の成績をあげる。[[7月10日]]のロッテ戦で、[[ベニー・アグバヤニ]]に死球をぶつけてあわや乱闘寸前までになったものの、その後ベニーが一塁ベンチの裏側まで来て、謝罪し握手を交わすというエピソードがあり、本柳は「ベニーはめちゃくちゃイイ選手です」と語っている<ref>{{Cite web |url=http://www.sanspo.com/baseball/top/bt200607/bt2006071003.html |title=オリックス・本柳2勝目!ベニー死球で乱闘寸前も降板後に和解 |publisher=[[サンケイスポーツ]] |accessdate=2006-07-10 |archiveurl=httphttps://web.archive.org/web/20060714085343/http://www.sanspo.com/baseball/top/bt200607/bt2006071003.html |archivedate=2006-07-年7月14 |deadlinkdate=2014-06-192017年10月 }}</ref>。
 
{{by|2007年}}はリリーフに専念。開幕から勝ちパターンの[[リリーフ#中継ぎ|中継ぎ]]として定着し、49試合に登板して防御率3.21と安定した成績を残した。
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== 人物 ==
*[[ダンカン (お笑い芸人)|ダンカン]]に「球界一の不機嫌ピッチャー」と言われる程、マウンド上では険しい表情を見せ闘争本能を剥き出しにする。しかし、一度マウンドを降りればファンサービスにも熱心な好青年だった。
*2004年4月25日のロッテ戦で[[川越英隆]]が、720日ぶりの勝利を挙げた際には男泣きするほど熱い性格。実は本柳は翌日の先発投手であり、本来なら途中で上がる日であったが「こんな試合、見ずに帰ることなんて出来ませんよ」とそのまま最後まで試合を観戦していた<ref>httphttps://web.archive.org/web/20040614055355/http://www.nikkansports.com/osaka/obw/p-obw-040425-01.html</ref>。
*2007年10月13日に結婚した。妻は[[プロゴルファー]]の[[高井陽子]]。同じプロスポーツ選手同士で励ましあい、アドバイスを受けることもあった。