「栃錦清隆」の版間の差分

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* 兄弟子の[[付き人]]に付いていた時、年端もいかないうちからこき使われるのを見かねた春日野が、栃錦を自分付きにした。その食事の世話をしながら様々な訓話を聞かされた。栃錦の十両昇進が決まった時に春日野の指示で靴磨きをしていたが、関取にしか着用を許されない[[丹前|ドテラ]]を着ていることに気がついた春日野から一度は叱責されたものの、直後に「おお、すまん。お前(栃錦)はもう関取だったな」と言われたことがあった。
* 同門で自分より若い[[千代の山雅信]]に出世で追い越され、一時期は千代の山との稽古を嫌っていた。しかし、[[栃木山守也|春日野]]から「そういう力士と稽古しないでどうやって追い越すんだ?」と言われてからは、千代の山との猛稽古を展開した。後に千代の山の息子が歯科医になった時には、千代の山自慢の[[突っ張り]]を何発も顔に当てた影響で早く歯を失ったため、「ワシは昔、千代の山との稽古で歯をやられたから、ワシだけは安く診てもらわないとな」と笑っていた。千代の山が引退して九重を襲名後、一門から九重が破門されても決して険悪にならず、栃錦が理事長として役員待遇を新設した際には九重を指名した。
* 同郷で仲が良かった[[大江戸勇二]]と江戸時代の大関[[両國梶之助 (初代)|両國梶之助]]を描いた映画を見に行ったとき、映画の中のセリフを真似て「俺は天下第一の力士になる」と言うと、「大塚さん(栃錦)が天下第一の力士になったら東京中を逆立ちして歩いてやる」と笑われた。栃錦が大関に昇進した時、大江戸に「おい、何か忘れてないか」と聞くと、大江戸は頭を抱えて「降参、降参! 勘弁して下さい」と苦笑したという。
* 「自分にとって栃木山と双葉山は神様です」と語っていた。[[幕下]]時代、双葉山が春日野部屋の幕下力士全員を呼んで稽古をつけた時、栃錦は[[ちゃんこ]]番だったにも関わらず志願して参加した。しかし、直前までちゃんこに入れる魚を調理しており手も洗わずにいたため、双葉山と組んだ瞬間に「お前、魚臭いな」と冗談交じりに言われて放り投げられた<ref name="sengo"/>。また、春日野の用事で料亭にいる双葉山を訪ねた時、その場にいた[[芸妓]]の美しさと、美女をはべらせて悠然としている双葉山の姿に胸を打たれ、強くならなくてはと誓った逸話を、後に明かしている。
* 兵役にとられた時すでに十両だったが、最初は力士とは思ってもらえなかった。上官との草相撲で手心を加えることなく連戦連勝し、それでようやく本職だと知ってもらえたが、やはり軽量のため「三段目くらいか?」「幕下か?」と言われ、なかなか関取だとは思ってもらえなかった。