「野沢尚」の版間の差分

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*[[2002年]] 『反乱のボヤージュ』で[[芸術選奨]]文部科学大臣賞を受賞。
*[[2004年]] 事務所マンションで首吊り[[自殺]]。{{没年齢|1960|5|7|2004|6|28}}<ref>「作家野沢尚さんが死亡 事務所で首つり自殺か」 [[共同通信]] [[2004年]][[6月28日]]([http://www.47news.jp/CN/200406/CN2004062801003332.html 47NEWS])</ref>。
 
==人物像==
*シナリオライターになろうとしたきっかけは、中学時代から[[映画監督]]志望で、[[8ミリ映画|8ミリカメラ]]で[[自主映画]]を作っていたが「映画はまずシナリオありき」と思い立ち、[[独学]]で始めたことであるという。
*シナリオの書き方は、月刊シナリオで書き方を覚え、[[倉本聰]]のシナリオ集を読み、そっくり文体を真似して勉強することから始めた。
*実際にプロになろうとしたきっかけは、第9回の[[日本映画製作者連盟#城戸賞|城戸賞]]に佳作入選したことと、[[鶴橋康夫]]と[[奥山和由]]との出会い。
*遭遇したトラブルとして、『その男、凶暴につき』と『ラッフルズホテル』製作時に脚本を現場で大きく変えられたことがある。[[北野武]]の『[[その男、凶暴につき]]』は完成された映画が傑作だったので許しているが(ただし、2004年に『烈火の月』として自身で改稿前の脚本を元に小説化した)、[[村上龍]]に直された『ラッフルズホテル』は日本映画史上の汚点のような大駄作にされたと述べていた。
*父親は、[[京都大学]]名誉教授で[[京都大学霊長類研究所]]の所長も務めた生物学者・野澤謙。作品中には父親をモデルとした学者が登場する。叔父にフランス文学者で元都立大教授の[[野沢協]]、祖父の兄弟に京都学派の哲学者の[[田辺元]]がいる。
*[[TBSテレビ|TBS]]のプロデューサー[[貴島誠一郎]]とは、『[[この愛に生きて]]』([[1994年]]、[[フジテレビジョン|フジテレビ系]])、『[[恋人よ (1995年のテレビドラマ)|恋人よ]]』([[1995年]]、フジテレビ系)が[[長男の嫁|『長男の嫁』シリーズ]]と競合するなどライバル関係であったため、「彼からは絶対声がかからない」と思っていたという。だが、逆に貴島は以前から野沢に注目していたといい、後に彼の依頼で脚本を執筆した『[[青い鳥 (テレビドラマ)|青い鳥]]』([[1997年]])が放送された。
*自殺の2か月前に放送された『[[砦なき者]]』には、自殺をほのめかすかのようにテレビ業界への絶望が描かれている。
*自殺した際には知人に「夢はいっぱいあるけど、失礼します」との遺書が残された。
 
==作品==