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有力種目は[[ハンドボール]]と[[水球]]だった。男子ハンドボールはオリンピック種目に復活した[[1972年]]の[[ミュンヘンオリンピック]]で金メダルを獲得し、その後もメダル争いの常連となった。男子[[水球]]はロサンゼルス・ソウル両大会で2連覇を達成し、ハンガリーと並ぶ世界最高峰の実力を見せつけた。
 
しかし、オリンピック活動も各共和国の独立運動の影響を受けた。[[1992年]]の[[バルセロナオリンピック]]は、男子サッカーのヨーロッパ選手権と同様、ユーゴスラビアとの文化・スポーツ交流を禁じる国連の制裁対象となった。独立した各共和国の参加は認められたが、ユーゴスラビアの参加は不可能となった。ただし、[[国際オリンピック委員会]](IOC)は救済措置を検討し、個人種目に限ってユーゴスラビア国籍の選手を「[[1992年バルセロナオリンピック独立参加選手団|個人参加]]」として[[五輪旗]]と[[オリンピック賛歌]]の下で戦う事を認めた。この個人参加選手は[[射撃]]で銀1銅2の計3個のメダルを獲得した。また、多くの選手がユーゴスラビアを離れたために競技力の低下が顕著となり、特に冬季大会では主力選手がみなスロベニアに所属したため、[[1994年]]の[[リレハンメルオリンピック]]への参加を見送った。内戦や空爆でスポーツ施設も多く被害を受け、経済制裁によってそのメンテナンスも難しくなった。
 
ユーゴスラビアは[[1996年]]の[[アトランタオリンピック]]で正式メンバーとしてオリンピックに復帰し(金1銀1銅2で計4個のメダル)、[[2000年]]の[[シドニーオリンピック]]がユーゴスラビアとして最後の参加となった。この大会では男子[[バレーボール]]の金メダルなど、合計3個(金1銀1銅1)のメダルを獲得した。
 
==脚注==