「キリスト教徒による宗教的迫害」の版間の差分

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===非主流派への迫害===
中世カトリックは非主流派を『[[異端]]』と決め付け、死か[[改宗]]かを選ばせる厳しい迫害を行った(一方で、正教会等の他のキリスト教諸教派では異端の殺害は中世にはほとんど行われていない)。またこれらの諸派へのカトリックによる[[十字軍]]も多く派遣された([[北方十字軍]]、[[アルビジョア十字軍]]など)。プロテスタントも、初期はカトリックの[[トリエント公会議]]などにより排斥され、[[戦争]]の原因の一つともなった。そうして差別に晒されたプロテスタントは、新天地を求めて当時「発見」された[[アメリカ大陸]]へと渡った。こうして[[ヨーロッパ]]人が入植し、やがて成立した[[アメリカ合衆国]]ではプロテスタントの方が優勢であり、今度はカトリックが排斥されるようになった。
 
これは近世に至るまで続いており、アメリカ合衆国では、[[モルモン教]]([[末日聖徒イエス・キリスト教会]])とそれ以外の信者との間で軋轢を生みモルモン戦争と呼ばれる暴力の無限連鎖が起こった結果モルモン教徒は追放され西部に移動した。さらに、[[1857年]]には現在の[[ユタ州]]周辺で不法占拠状態だったモルモン開拓団に対し[[アメリカ合衆国連邦政府|連邦政府]]派遣の知事受け入れを条件に準州として認める連邦政府との協定をモルモン教側が反故にした事により[[ユタ戦争]]が発生。連邦政府は騎馬隊4000人を派遣しモルモン教徒と対峙した。この時東西から挟撃を恐れ無関係の西部移民団を武装解除させた上で[[虐殺]]及び略奪行為が行われた。