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'''ファビオラ・ズルアガ'''('''Fabiola Zuluaga''', [[1979年]][[1月7日]] - )は、[[コロンビア]]・[[ククタ]]出身の女子プロ[[テニス]]選手。[[2004年]]の[[全豪オープン]]で準決勝に勝ち進んだ、当地最大の女子テニス選手である。シングルス自己最高ランキングは16位。右利き、バックハンド・ストロークは両手打ち。[[WTA]]ツアーでシングルス5勝を挙げた。
 
[[1993年]]にプロ入り。[[1994年]]から女子テニス国別対抗戦・[[フェドカップ]]の[[コロンビア]]代表選手となる。[[1997年]]の[[全仏オープン]]で[[グランドスラム (テニス)|4大大会]]の予選会に初挑戦したが、予選の3回戦で敗れて本戦出場を逃す。(予選会は、3試合を勝ち上がらないと本戦出場資格を得られない。)ズルアガは4大大会予選で3度涙を飲んだが、[[1998年]]の[[全米オープン (テニス)|全米オープン]]でついに本戦出場を果たし、本戦の2回戦で[[アランチャ・サンチェス]]に挑戦した。[[1999年]]から4大大会の顔触れとして定着し、[[全仏オープン]]では[[リンゼイ・ダベンポート]]との3回戦に勝ち進んでいる。同年に[[ウィンブルドン選手権|ウィンブルドン]]の本戦にも初出場したが、1回戦で[[マリー・ピエルス]]に敗退する。2度目の全米オープンでは、2回戦で[[エレナ・デメンティエワ]]に敗れた。[[2000年]]には[[全豪オープン]]本戦にも初出場し、2回戦で[[ジュリー・アラール・デキュジス]]に敗れたが、こうしてズルアガはコロンビアのテニスを世界に紹介し始めた。[[2000年]]の[[シドニーオリンピック|シドニー五輪]]の[[コロンビア]]代表選手にも選ばれ、女子シングルスで[[アランチャ・サンチェス]]との3回戦まで進出する。同年10月に初来日し、「[[トヨタ]]・プリンセス・カップ]]」と「[[ジャパン・オープン・テニストーナメント|ジャパン・オープン]]」を連戦した。
 
その後故障でしばらくツアーを離れたが、[[2001年]]10月に復帰する。[[2003年]]の[[フェドカップ]]で、[[コロンビア]]・チームは初めて最上位8ヶ国の「ワールドグループ」進出を果たした。[[2004年]]の[[全豪オープン]]で、ファビオラ・ズルアガは[[コロンビア]]の女子テニス選手として史上初のベスト4進出を成し遂げる。準々決勝で[[フランス]]の[[アメリ・モレスモ]]が試合直前に故障を起こしたため、ズルアガは不戦勝で準決勝に進んだが、第1シードの[[ジュスティーヌ・エナンアーデン]]に 2-6, 2-6 で敗れた。この年は[[全仏オープン]]でも[[セリーナ・ウィリアムズ]]との4回戦に進出し、ここでも自己最高成績を出している。同年の[[アテネオリンピック (2004年)|アテネ五輪]]で2度目のオリンピック出場も果たし、シングルス3回戦で[[イタリア]]の[[フランチェスカ・スキアボーネ]]に敗れた。[[2005年]]1月17日付の女子テニス世界ランキングで、ズルアガはコロンビア人選手として最高順位の「16位」にランクされたが、[[2005年]][[全米オープン (テニス)|全米オープン]]の2回戦で[[キム・クライシュテルス]]に敗れた試合を最後に現役を引退した。
== 関連項目 ==
* [[テニス]]
 
[[Category:コロンビアのテニス選手|するあか ふあひおら]]
[[Category:1979年生|するあか ふあひおら]]
[[en:Fabiola Zuluaga]]
[[fr:Fabiola Zuluaga]]
[[he:פביולה זולואגה]]
[[pl:Fabiola Zuluaga]]