「森戸事件」の版間の差分

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同じ経済学部の教授である[[渡辺銕蔵]]などは、森戸の論文は論理も学術的価値もない、と批判した。
 
東大の学内からは、言論の自由の否定に対して学生の間から反発が起こり、森戸擁護の学生大会が連日行われた。[[吉野作造]]率いる[[新人会]]も森戸擁護の論陣を張った。この事件によって大学生らエリート知識人が反体制派に追いやられるようになり、後々には[[昭和研究会]]などにおいて革新的な国政運営が行われるようになる{{Sfn|江崎|pp=124-126}}。
 
なお[[岸信介]]は森戸を排斥した興国同志会に属していたが、この事件をきっかけに興国同志会をともに脱退した[[鹿子木員信]]と[[大川周明]]<ref>『失われた大学の自由七百の学生奮起す』東京日日新聞1920年1月17日</ref>の支援を受けて「日の会」を結成している。岸は[[マルクス主義|マルクス的社会主義]]にある種の共感を持っていたともいわれている。
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== 参考文献 ==
*「[[私の履歴書]] 文化人20 森戸辰男」 日本経済新聞社、1984年。
*{{Cite book |和書 |author=[[江崎道朗]] |title=コミンテルンの謀略と日本の敗戦 |date=2017年8月24日 |publisher=PHP新書 |isbn=978-4-569-83654-6 |ref={{SfnRef|江崎}} }}
*[[原彬久]] 『岸信介』 岩波書店、1995年。
*塩田潮 『岸信介』 講談社、1996年。
* [[渡辺銕蔵原彬久]]  激動の日本岸信介』 自由アジア社岩波書店19681995年。
*[[渡辺銕蔵]]『激動の日本』 自由アジア社、1968年。
 
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