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'''メナンドロス'''({{lang-el-short|Μένανδρος}}、ラテン文字転記:Menandros、生没年不明、紀元前5世紀)は、[[ペロポネソス戦争]]期の[[アテナイ]]の将軍である。
 
メナンドロスが初めて言及されるのは[[紀元前414年]]の[[シケリア遠征]]に[[ニキア]]スの部将として参加した時である<ref>トゥキュディデス, VII. 16</ref>。メナンドロスは病に臥せったニキアスに代わって同年の終わりまで[[エウテュデモス]]と共に一時的に総司令官の地位にあったが、それ以外には遠征を通してさほど大きな働きは示していない<ref>ibidトゥキュディデス, VII. 69</ref><ref>ディオドロス, XIII. 13</ref>。[[紀元前409年]]の冬、メナンドロスは[[ランプサコス]]で[[アルキビアデス]]の部将としてアテナイと対立していた[[アケメネス朝|ペルシア]]の[[サトラップ|太守]][[ファルナバゾス (ファルナケスの子)|ファルナバゾス]]と戦った<ref>クセノポン, I. 2. 16</ref>。[[紀元前405年]]には将軍の一人(同僚は[[アデイマントス (アテナイの将軍)|アデイマントス]]、[[ケフィソドトス]]、[[コノン (アテナイ)|コノン]]、[[テュデウス (将軍)|テュデウス]]、[[フィロクレス]])として艦隊を率い、アイゴスポタモイで[[リュサンドロス (提督)|リュサンドロス]]率いるスパルタ艦隊と対峙した<ref>ibidクセノポン, II. 1. 16</ref>。この時[[トラキア]]の王の許に身を寄せていたアルキビアデスがアテナイ艦隊の許へと来て、今いる場所は食料を調達しにくい場所なので艦隊を食料を調達しやすい[[セストス]]に動かすべきだと忠告し、またもし指揮権を分けてくれればトラキアの王[[メドコス]]と[[セウテス]]からの援軍を率いてくると申し出たが、メナンドロスをはじめとする将軍たちは勝てばアルキビアデスの手柄になり、負ければ自分たちの責任になると考えてそれを無視した<ref>ibidクセノポン, II. 1. 26</ref><ref>ディオドロス, XIII. 105</ref>。その結果はスパルタ艦隊に対する惨めな敗北であった([[アイゴスポタモイの海戦]])。この戦い以後メナンドロスがどうなったのかは知られていない(仮に捕虜になっていれば、処刑された)。
 
== 註 ==