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{{複数の問題
|国際化=2011年1月9日 (日) 07:51 (UTC)|領域=日本
|脚注の不足=2017年7月
}}
'''河川舟運'''(かせんしゅううん)とは、[[川]]や[[運河]]において物資や旅客を運搬する輸送のことで、河川水運や内陸水運とも呼ばれる。
 
== 日本における欧米の河川舟運 ==
[[日本]]の場合は河川舟運は国内舟運に限られるが、欧州などでは国際舟運としての河川舟運が存在する。
欧米では広大な河川を利用した舟運業がトラックや鉄道とともに内陸輸送手段として重要な役割を果たしている<ref name="jstra">[http://www.jstra.jp/html/PDF/euroriver.pdf 欧米の河川舟運産業の実態及び需要に関する調査] 日本舶用工業会、日本船舶技術研究所</ref>。欧米諸国は平坦な内陸部が多く、大河は流速が緩やかで河幅も水深も適度にあり、各国の都市が河川でつながっていることから古来より重要なライフラインとして機能してきた<ref name="jstra" />。
 
== 概要 ==
== 日本の河川舟運 ==
日本の河川舟運は、古代より行われ、近代以前の[[年貢米]]の輸送や商品流通に大きく貢献してきた。その一方で、河川舟運は物資のみならず、地域の文化・慣習を伝播するという面や、都市や[[河岸]]・津などと呼ばれる船着場集落の形成にも役割を果たしてきた。近代に入ると、[[殖産興業]]政策による産業の発展に伴い、運搬する物資が増加し、河川舟運は最盛期を迎えた。しかしながら、明治中期以降、鉄道の開通や河川改修、陸上交通の発達、[[橋]]の役割の変化などに影響を受け、河川舟運は徐々に衰退していった。河川舟運に関する研究蓄積は多いものの、近代以降の河川舟運の盛衰過程については、未だ明らかになっていないことが多い。
 
日本では昭和中期ごろまで、米や木材といった荷物を運ぶためには、険しい山道を歩く陸上交通よりも、水運の方がはるかに速く容易であったことから、ほとんどの河川で、現在の道路機能の代わりを担う人や貨物を運ぶ重要な物流の中心となっていた{{sfn|ロム・インターナショナル(編)|2005|pp=127–128}}。たとえば、[[琵琶湖]]を水源とし[[大阪湾]]に注ぐ[[淀川]]では、上流域で[[瀬田川]]、中流域で[[宇治川]]と名を変えてよばれていて、京都と大坂を結ぶ交通の大動脈として機能した。淀川に合流する支流の[[木津川]]は、奈良の平城京や寺院建設のために、瀬田川流域の森林から伐採された木材が木津川を遡って奈良に運ばれたりもされた{{sfn|ロム・インターナショナル(編)|2005|pp=127–128}}。
現代では、[[水上バス]]や舟下りなどの観光・レクリエーションとして旅客を運ぶ河川舟運が行われている。近年では、都市再生や地域活性化を目的とした観光舟運が全国各地で盛んに行われている。
 
== 日本における河川舟運 ==
日本では昭和中期ごろまで、米や木材といった荷物を運ぶためには、険しい山道を歩く陸上交通よりも、水運の方がはるかに速く容易であったことから、ほとんどの河川で、現在の道路機能の代わりを担う人や貨物を運ぶ重要な物流の中心となっていた{{sfn|ロム・インターナショナル(編)|2005|pp=127–128}}。たとえば、[[琵琶湖]]を水源とし[[大阪湾]]に注ぐ[[淀川]]では、上流域で[[瀬田川]]、中流域で[[宇治川]]と名を変えてよばれていて、京都と大坂を結ぶ交通の大動脈として機能した。淀川に合流する支流の[[木津川]]は、奈良の平城京や寺院建設のために、瀬田川流域の森林から伐採された木材が木津川を遡って奈良に運ばれたりもされた{{sfn|ロム・インターナショナル(編)|2005|pp=127–128}}。
 
明治に入って、鉄道網が整備されるようになると、川の交通は次第に衰退していったが、木材だけは昭和中期ごろまで「いかだ流し」とよばれる運搬方法によって川で運ばれていた。しかし、電源開発や利水確保のために川に[[ダム]]が建設されるようになると、こうした木材運搬も廃れていった{{sfn|ロム・インターナショナル(編)|2005|pp=127–128}}。
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{{河川関連}}
 
{{Transport-stub}}
{{デフォルトソート:かせんしゆううん}}
[[Category:河川水運|*]]