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== モータースポーツ ==
== F1におけるピレリ ==
古くから[[F1世界選手権]](詳細は後述)、[[世界ラリー選手権|WRC]]にタイヤを供給し、名前を馳せていた。
=== 第1期活動 (1950年 - 1958年) ===
 
*[[世界ラリー選手権|WRC]]では[[ランチア]]や[[トヨタ自動車|トヨタ]]に供給を行い、ライバルの[[ミシュラン]]を抑え高い成績を収めていた。近年では[[富士重工業|スバル]]等に供給を行っていたが、2006年シーズン一杯でスバルがミシュランにスイッチし事実上撤退。その後2008年から2010年までの3年間契約で、WRCの公式タイヤサプライヤーとして復帰。2014年にもタイヤ競争に参加ているたが、[[ロバート・クビサ]]がWRCに参戦できなかったことでWRC2へと縮小、2016年で撤退した<ref>[https://f1-gate.com/pirelli/wrc_33801.html ピレリ、WRCへのタイヤ供給から撤退]</ref>
 
F1への独占供給に伴い、[[GP2]]・GP3シリーズにおいても[[2011年のGP2シリーズ|2011年]]よりF1と同じ規格のタイヤを使用している。
 
ブランパンGTシリーズへの独占供給も行っており、2017年開幕のブランパンGTアジアや、2018年の鈴鹿10時間レースでもピレリのワンメイクになることが決定している。またSCCAの主催の元PWC(ピレリ・ワールド・チャレンジ)を1990年から開催しており、2015年に25周年を迎える伝統あるツーリングカーレースとなっている。[[ランボルギーニ]]や[[フェラーリ]]のワンメイクレースでもピレリが供給することが多く、スーパーカーのタイヤ=ピレリというイメージを根付かせていっている。
 
二輪でも[[スーパーバイク世界選手権]]にタイヤを独占供給。2017年の鈴鹿8耐でもモリワキがピレリタイヤを採用している。
 
=== F1世界選手権 ===
==== 第1期活動 (1950年 - 1958年) ====
[[Image:Alfa-Romeo-159-(1951).jpg|thumb|right|250px|'''Tipo158'''の名で親しまれる[[アルファロメオ・158|アルファロメオ・158/159 アルフェッタ]]。草創期のF1に対してピレリはタイヤを供給した。]]ピレリは[[1950年]]にF1世界選手権が開催された当初から参入したタイヤサプライヤーの1つでもある。[[アルファロメオ]]、[[マセラティ]]、[[フェラーリ]]などイタリアチームに対してタイヤを供給した。当初は[[インディ500]]以外のほぼ全てのレースでピレリタイヤ勢がレースを専権した。(※:当時のF1ではチャンピオンシップとしてはインディ500も含まれていた。)、しかし当時のトップドライバーであった[[ファン・マヌエル・ファンジオ]]が[[1954年]]の[[フランスグランプリ]]より[[メルセデス・ベンツ]]に移籍すると、メルセデスが使用していた[[コンチネンタル (自動車部品製造業)|コンチネンタル]]が専権するようになる。ファンジオは1956年にフェラーリに移籍し、ピレリタイヤによる勝利も元のように大半を占めるようになるが、1958年からフェラーリに[[ベルギー]]のタイヤメーカーである[[エンゲルベール]]が独占供給。さらにイギリスの有力チーム[[ヴァンウォール]]もピレリから[[ダンロップ]]へタイヤ供給を変更した。また、他の有力チームである[[クーパー・カー・カンパニー|クーパー]]もコンチネンタルやダンロップのタイヤを使用するに至ったため、1勝もすることができなかった。
 
ピレリの第1期活動はこの年で終了する。
 
==== 第2期活動 (1981年 - 1986年) ====
[[Image:Gerhard Berger 1986 Detroit.jpg|thumb|right|250px|第2期ピレリタイヤの最後の勝利を飾った[[ベネトン・B186]]。(※:ドライバーは[[ゲルハルト・ベルガー]])]]1981年より、実に23年ぶりのタイヤ供給となった。当初は[[アロウズ]]、[[フィッティパルディ]]、[[トールマン]]に対して行ったが、年間を通して入賞をしたのはアロウズのみという厳しい復活初年度を迎えた(PP1回、表彰台2回、10pts。ただし、アロウズはミシュランとタイヤをシェアしており、完全な独占供給チームはトールマンだけだった)。
1982年は[[マーチ・エンジニアリング|マーチ]](※:[[エイヴォン]]とシェア)、[[オゼッラ]]もピレリタイヤを使用した。総獲得ポイントは9pts。なお、この年限りでフィッティパルディは撤退、アロウズは[[グッドイヤー]]を選択する。そのため、1983年からは[[チーム・ロータス|ロータス]]、[[RAM (F1)|RAM]]へ供給先を広げ、ピレリ勢の総獲得ポイントは23pts。うち、ロータスがPP1回、表彰台1回を獲得した。
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上位チームへの供給がない中での健闘は見せたものの、上位チームへの供給を独占していたグッドイヤー勢に対する敗北は否めなかったのも事実であり、この年限りでピレリは再びF1へのタイヤ供給を休止した。
 
==== 第3期活動 (1989年 - 1991年) ====
[[Image:2006FOS 1991BenettonB191.jpg|thumb|250px|right|ピレリの第3期活動の最初で最後の勝利を収めたマシン「[[ベネトン・B191]]」。(※:写真は2006年グッドウッドフェスティバルにて撮影)]]一時休止から2年間のブランクをあけて再びグッドイヤー勢とのタイヤ戦争を開始した。グッドイヤーに比べタイヤ供給料を安くする戦略をとり、これによりチーム運営資金が決して潤沢ではない新参チームや、スポンサー獲得が上手くいかないチームへ供給をした。[[BMSスクーデリア・イタリア|スクーデリア・イタリア]]、[[ブラバム]]が各1回ずつ表彰台を獲得し、ミナルディも6pts獲得する活躍を見せた。その他[[ユーロブルン]]、[[ザクスピード]]、オゼッラ、[[コローニ]]に供給するも、これらは上位に食い込めるほどの戦闘力がなかった。
 
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ピレリは1991年を以って、そしてタイヤ供給した参戦数200戦目にしてF1から撤退した。
 
==== 第4期活動 (2011年 - ) ====
2010年4月30日、ピレリが[[国際自動車連盟|FIA]]に対して正式にタイヤ供給を申し出たことを発表<ref>{{cite news|url =http://f1-gate.com/other/f1_7306.html|title =ピレリ、F1へのタイヤ供給を申し出 |publisher=F1-Gate.com | date = 2010-04-30|accessdate = 2010-04-30}}</ref>。6月23日、世界モータースポーツ評議会が開催され、FIAにより[[2011年のF1世界選手権|2011年]]からピレリがF1にタイヤを供給することを決定したと正式に発表した。なお、契約期間は3年であり、実に20年ぶりにF1のひのき舞台に返り咲いたことになる<ref>{{cite news|url =http://www.f1fanatic.co.uk/2010/06/23/pirelli-return-to-f1-after-20-year-absence/|title =Pirelli return to F1 after 20-year absence |publisher=F1 Fanatic.co.UK | date = 2010-06-23|accessdate = 2010-06-24}}</ref>。また、F1と同規格のタイヤをGP2にも供給することを発表。双方からのタイヤデータをフィードバックし、よりレースにエンターテイメント性を高める事を狙いとするなどレースを白熱化させるコンセプトを明示していた<ref name="f1 and gp2"/>。
 
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*日本のタイヤメーカーと異なりモデルサイクルが長く、10年以上販売が継続される製品も多い。([[FIAT]][[#2代目 NUOVA 500(チンクェチェント)|チンクェチェント]]用にCEAT CINTURATO CN54の製造販売も継続している)
*PZERO/P7/P6/CINTURATO等、一部の製品名は過去の製品名を復活させているが、過去の製品とはその性格が異なる。特に旧モデルのP7は、スポーツカー用タイヤとして名高いが、現在のP7は、スポーティー寄りではあるが一般車用である。
*PZEROの初代(旧)モデルは[[フェラーリF40]]専用のタイヤとして開発され、量販化の後PZERO SYSTEMへ更新された
*[[ランボルギーニ・カウンタック]]など、スーパーカー用のタイヤの製造販売を継続している。
*[[世界ラリー選手権|WRC]]では、[[ランチア]]や[[トヨタ自動車|トヨタ]]に供給を行い、ライバルの[[ミシュラン]]を抑え高い成績を収めていた。近年では[[富士重工業|スバル]]等に供給を行っていたが、2006年シーズン一杯でスバルがミシュランにスイッチし事実上撤退。その後、2008年から2010年までの3年間契約で、WRCの公式タイヤサプライヤーとして復帰している。
*[[GP2]]シリーズにおいても、[[2011年のGP2シリーズ|2011年]]よりF1と同じ規格のタイヤを使用することを発表した<ref name="f1 and gp2">{{Cite news | url = http://f1-gate.com/pirelli/f1_9028.html | title = GP2、2011年はピレリのF1タイヤを使用 | publisher = F1 Gate.com | date = 2010-09-03 | accessdate = 2010-09-15}}</ref>。
*[[1950年代]]に[[アルベルト・ピレリ]]は、同社の最初の工場があったミラノの地区に高層ビルの建築を依頼した。同ビルは[[ピレローネ]]と呼ばれる。
*毎年、女性モデル([[トップレス]]が多い)を撮影した[[カレンダー]]を発行している。(非売品で入手は困難)