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[[1915年]](大正4年)には[[中島朝次郎]]が日本で初めて銅アンモニアレーヨンの製造実験に成功し、[[三重県]]松阪に[[中島人造絹絲製造所]]を設立し、製造を開始する。中島は同年11月の[[大正天皇]]即位大典に製品を献納することもしたが資本的に恵まれなかったため生産も小規模で大成しなかった<ref name="ユニチカ" />。
 
一方、[[鈴木商店]]は[[1914年]]にビスコース法によって実験的製造に成功した久村清太に着目、資金バックアップを行い、1915年には東レザー分工場米沢人造絹糸製造所が設立され、日本初のビスコース法レーヨン糸の試験生産を開始した<ref name="ユニチカ" />。この工場は1918年(大正7年)に独立し帝国人造絹株式会社([[帝人]]の前身)となる。
 
1914年にはヨーロッパで[[第一次世界大戦]]が勃発しており、日本もレーヨン糸の輸入に支障が起き、価格が騰貴。レーヨン工業は高収益を上げ得る環境が生まれた。このため、1916年から1921年にかけて前述の帝人をはじめ8社ほどレーヨン製造会社が続々と設立される<ref name="ユニチカ" />。しかし、第一次世界大戦が終息すると戦争景気からの反動でレーヨン糸の価格は暴落する。この暴落に伴う日本のレーヨン製造業再編成を生き延びたのは[[旭絹織]](後の[[旭化成]])、三重人造絹絲、東京人造絹絲の3社であった<ref name="ユニチカ" />。