「三都主アレサンドロ」の版間の差分

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加入当時、清水には[[カルロス・アルベルト・ソーザ・ドス・サントス|サントス]]、[[フェルナンド・ニコラス・オリバ|オリバ]]、[[マーク・ボウエン]]と3人の外国籍選手がおり、三都主は第4の選手とみなされていた<ref name="sm0831" />。しかし他の選手に故障が相次いだこともあり<ref name="sm0831" />1年目からリーグ戦27試合に出場した。体力不足もあって1年目のリーグ戦フル出場は1試合のみにとどまった<ref name="sm0831" />。1997年5月28日の1stステージ第11節[[アビスパ福岡]]戦では、自陣からドリブルで約70メートルを突破して初ゴールを決めた<ref name="sm0831" />。
 
清水加入当初は色々なポジションで起用されていたが、1999年に左アウトサイドに定着<ref name="sm0866">「三都主アレサンドロ(日本代表)」『週刊サッカーマガジン』、2002年5月22日号 No.866、ベースボール・マガジン社、106頁。</ref>。清水はこの年に2ndステージで優勝、また年間勝点では2位以下に大きく差を付けて1位となった。この年に大きくブレイクした三都主は清水躍進の原動力となり<ref name="sm0866" /><ref name="sm0959">「左サイドの待ち人はアレックス/浦和」『週刊サッカーマガジン』、2004年2月10日号 No.959、ベースボール・マガジン社、100-101頁。</ref>、史上最年少の22歳で[[Jリーグアウォーズ|Jリーグ最優秀選手賞]]を受賞した。1999年12月11日に行われた[[ジュビロ磐田]]とのチャンピオンシップ第2戦では、相手選手[[三浦文丈]]を蹴りつけて35分に退場を命じられた<ref name="asahi_19991212">{{cite web| author = | date = 1999-12-12| url = http://www.asahi.com/sports/2005supercup/00-2.html| title = PK戦、磐田に女神 1999年 Jリーグ・チャンピオンシップ第2戦 | publisher = 朝日新聞| accessdate = 2015-12-12}}</ref><ref name="sm1003">「アレックス/5年越しのリベンジへ」『週刊サッカーマガジン』、2004年12月14日号 No.1003、ベースボール・マガジン社、13頁。</ref>。チームは奮闘したものの最終的にPK戦で磐田に敗れた。清水の監督[[スティーブ・ペリマン]]は「11人で戦っていれば勝っていた」と試合後に振り返った<ref name="sm1003" /><ref name="asahi_19991212" />。
 
また、[[アジアカップウィナーズカップ1999-2000]]、[[第81回天皇杯全日本サッカー選手権大会|第81回天皇杯]]優勝にも貢献した。[[セレッソ大阪]]との天皇杯決勝で三都主は1得点1アシストし、3-2の勝利に貢献した<ref name="sm0831">「ニッポンの希望/アレックスの現在・過去・未来」『週刊サッカーマガジン』、2001年9月19日号 No.831、ベースボール・マガジン社、6-9頁。</ref><ref name="sm0850">「現地独占取材①三都主インタビュー/日本にはアレックスがいる」『週刊サッカーマガジン』、2002年1月30日号 No.850、ベースボール・マガジン社、6-13頁。</ref>。2001年9月3日に開催された[[JOMO CUP]]では、ワールド・ドリームス(外国籍選手選抜)のキャプテンマークを巻いた<ref name="sm0831" />。清水在籍最終シーズンとなった2003年にはチームキャプテンを務めた<ref>{{cite web| author = | date = 2015-01-26| url = http://www.s-pulse.co.jp/news/detail/28117| title = 2015シーズン キャプテン・副キャプテン決定のお知らせ| publisher = 清水エスパルス| accessdate = 2015-09-30}}</ref><ref name="sm0959" />