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=== 硫黄島における遺骨帰還のための特命チーム ===
[[硫黄島 (東京都)|硫黄島]]における遺骨収集は[[第1次安倍内閣|安倍内閣]]時代から進められ、[[麻生内閣]]で硫黄島の滑走路を引きはがして遺骨収集する計画を決定した<ref>朝雲ニュース 2009/1/29日付 硫黄島基地 滑走路移設を検討 路面下の遺骨収集に協力”[http://www.asagumo-news.com/news/200901/090129/09012904.html]{{リンク切れ|date=2017年10月}}</ref>が、[[鳩山由紀夫内閣]]によって中断されていた。自民党は[[森喜朗]]や[[新藤義孝]]が菅直人に事業の継続を要請し、菅直人は自民党に謝意と事業の継続を約束した<ref>産経新聞 「菅首相、森元首相と官邸で会談 硫黄島の遺骨収集めぐり約30分」(2010.12.8 12:46)[http://sankei.jp.msn.com/politics/policy/101208/plc1012081248013-n1.htm]</ref>。2010年、阿久津は「硫黄島における遺骨帰還のための特命チーム」のチームリーダーに指名され、米国に派遣された。阿久津は[[アメリカ国立公文書記録管理局]]を訪問し、[[摺鉢山]]付近に日本兵の集合埋葬地があることなどの記録を確認。さらに、[[アメリカ国防総省|米国国防総省]]の捕虜・行方不明者調査局を訪問し、調査への協力を確認した<ref>首相官邸ホームページ "阿久津内閣総理大臣補佐官による米国公文書館等調査について"[http://www.kantei.go.jp/jp/singi/ioutou/dai1/siryou4.pdf]</ref>。
硫黄島は中心部に軍事基地があるため、2009年に麻生内閣時代が島中央での発掘作業を決定するまでは、発掘作業は島の外側で行われており、収集できた遺骨は約8700柱に留まっていた<ref>首相官邸ホームページ "硫黄島における遺骨収集等の現状" [http://www.kantei.go.jp/jp/singi/ioutou/dai1/siryou2.pdf]</ref>。2010年8月、阿久津の持ち帰った資料を基づいた試掘が行われたが遺骨の発見はできなかった。そのため、[[厚生労働省]]がアメリカ国立公文書記録管理局で公文書の再調査を行い、10月の再試掘で滑走路の西部や摺鉢山麓に大規模な集団埋葬地を発見することに成功した<ref>首相官邸ホームページ "硫黄島からの遺骨帰還のための特命チーム 第3回会合"[http://www.kantei.go.jp/jp/singi/ioutou/dai3/gijiyousi.pdf]</ref>。2010年12月、阿久津は菅をはじめとする超党派の議員団と供に硫黄島に向かった。尚、この模様は後日、菅の官邸ブログ(12/24更新)にて動画が公開された。