「岡本綺堂」の版間の差分
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}}</ref>)の長男として東京[[高輪]]に生まれる。1873年、公使館の[[麹町]]移転とともに麹町元園町に移って育つ。3歳にして父から[[
記者として狂綺堂の名で劇評や社会探訪記事を書きながら、1891年、東京日日新聞に小説「高松城」を発表。1896年、『歌舞伎新報』に処女戯曲「紫宸殿」を発表。1902年、「金鯱噂高浪(こがねのしゃちうわさのたかなみ)」([[岡鬼太郎]]と合作)が[[歌舞伎座]]で上演される。この作品の評価はいまひとつだったようだが、その後、「維新前後」や「修禅寺物語」の成功によって、[[新歌舞伎]]を代表する劇作家となり、「綺堂物」といった言葉も生まれた。
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