「平成26年8月豪雨による広島市の土砂災害」の版間の差分

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行方不明者の捜索は約1か月間におよび{{Sfn|土木学会報告書|2015|p=1}}、災害における直接死は74人(最終報<ref name="pref_hiroshima_68">{{Cite web|url=http://www.pref.hiroshima.lg.jp/uploaded/attachment/139124.pdf|format=PDF|title=【第68報(最終)】8月19日からの大雨による被害等について【9/19 16:00現在】|publisher=広島県|accessdate=2017-10-06}}</ref>{{Sfn|土木学会報告書|2015|p=2}})、これに2016年現在で[[災害関連死]]3人が加わり、死者77人となった<ref name="die" />。この災害死の数は、[[国土交通省]]の発表によると土砂災害による人的被害としては過去30年間の日本で最多であり、1983年7月に[[島根県]]西部で87人が死亡・行方不明となった豪雨([[昭和58年7月豪雨]])による土砂災害以来の大きな人的被害となった{{Sfn|土木学会報告書|2015|p=1}}。広島市に限れば、1999年[[6.29豪雨災害]]における土砂災害被害を上回った{{Sfn|土木学会報告書|2015|p=1}}。近年まれに見る死者数の多さから、社会問題として大きく扱われた{{Sfn|土田|森脇|熊本|一井|2016|p=33}}。住宅被害、電気・水道・ガスなどに加えて交通網が集散する場所であったことから[[ライフライン]]・[[インフラストラクチャー|インフラ]]全てにおいて大きな被害を受けた{{Sfn|土木学会報告書|2015|p=2}}。避難勧告の対象範囲は大きく、避難所へはピーク時で904世帯・2,354人が避難したものの、安全が確認されるまで長期にわたり避難所での生活を余儀なくされた{{Sfn|土木学会報告書|2015|p=2}}。
 
ただ不幸中の幸いであったのが河川(洪水)災害は限定的であったことである{{Sfn|土木学会報告書|2015|p=16}}。災害が起きた付近は古くから河川災害が頻発した地<ref name="thepage140904"/>{{Sfn|安佐南区自主防災会|2015|p=12}}であったが、20日4時20分頃可部三丁目付近で根谷川が氾濫した以外は顕著な大きく害は発生しなかった{{Sfn|土木学会報告書|2015|p=1}}{{Sfn|土木学会報告書|2015|p=16}}。
 
行政対応の不手際から、1999年災害の教訓が生かせなかったと指摘された。特に、広島市からの避難勧告発令の遅さが批難された。[[土砂災害警戒区域等における土砂災害防止対策の推進に関する法律|土砂災害防止法]]の問題点が浮き彫りとなり、改正が行われた。
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* 9月4日付THE PAGEではとくダネ!「蛇落地悪谷」報道を紹介し、蛇落地から「上楽地」に替わったと報道された。上楽地の地名は古い地図では昭和40年代まで残り、浄楽寺の先代住職が蛇落地伝説を伝承し、地域の小学校の記念誌にも寄稿していることが報じられた<ref name="thepage140904">{{Cite web|url=http://thepage.jp/detail/20140904-00000011-wordleaf|title=広島災害の教訓―変わる地名、消える危険サイン(1/3)|publisher=THE PAGE|date=2014-09-04|accessdate=2017-10-17}}</ref>。
* 9月22日放送『[[NNNドキュメント]] 山津波 宅地開発の死角 広島土砂災害の教訓』([[広島テレビ放送]]製作)では、大蛇の首が落ちた地を「蛇落地」とよびのち「上楽地」に変わった、と報じられた<ref>{{Cite web|url=https://datazoo.jp/tv/NNNドキュメント/789382|title=NNNドキュメント 山津波 宅地開発の死角 広島土砂災害の教訓|publisher=TVでた蔵|date=2014-09-22|accessdate=2017-10-17}}</ref><ref>{{Cite web|url=https://news.goo.ne.jp/article/galac/entertainment/galac-20141107-03.html|title=広島土石流の原因に迫るドキュメンタリー〜NNNドキュメント'14「山津波 宅地開発の死角〜広島土砂災害の教訓〜」|publisher=galac|2014-11-12|accessdate=2017-10-17}}</ref>。
なお[[広島市郷土資料館]]や[[安佐南区]]役所は、報道に対し「蛇落地」・「悪谷」が存在したことを示す資料は無いと回答している<ref name="thepage140904"/>。「上樂地」の地名は1897年(明治30年)頃<ref>『八木用水』 - 41ページ。元になる地図は発行元が国土地理院に許可を得て複製(承認番号 平15中複第307号)</ref>/1925年(大正14年)/1977年(昭和52年)の旧[[陸地測量部]]・現[[国土地理院]]の[[地形図]]で確認出来るが、その場所は現在の八木三丁目JR梅林駅北側で光廣神社より北東側にあたる<ref name="yadhiyo2015_06_fukutsuka" /><ref>『。今回最大の土砂災害が起きた八木用水』 - 41ページ。元になる地図三丁目県営緑丘住宅周辺発行元が国土「小原」、八木三丁目郵政阿武の里団理院に許可を得周辺は「山手・室屋」と呼ばれ複製(承認番号いた<ref name="yadhiyo2015_06_fukutsuka" 平15中複第307号)</ref>。
 
これらの報道があった後である9月22日から10月3日に行われた市による安佐南区・安佐北区被災地住民アンケートで、祖先の言い伝えとして蛇に関することを回答したものもいる<ref name="ch02siryouhen" />。