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その後は『吉良家の人々』『[[細川ガラシャ|細川ガラシヤ夫人]]』などの歴史小説を著す一方で[[ヘンリック・イプセン|イプセン]]・[[フョードル・ドストエフスキー|ドストエフスキー]]・[[ミゲル・デ・セルバンテス|セルバンテス]]・[[ガブリエーレ・ダンヌンツィオ|ダヌンツィオ]]・[[ジョヴァンニ・ボッカッチョ|ボッカチオ]]などの翻訳を手がけた。
 
最晩年は[[日本共産党]]に入党し、話題をまいた。1949年、[[胆管炎]]から移行した[[肝硬変]]のため、疎開先の[[長野県]][[下伊那郡]][[阿智村]]の長岳寺の離れで死去<ref>[[服部敏良]]『事典有名人の死亡診断 近代編』付録「近代有名人の死因一覧」(吉川弘文館、2010年)28頁</ref><ref name="sakka">[[工藤寛正|岩井寛]]『作家の臨終・墓碑事典』(東京堂出版、1997年)330頁</ref>。戒名は浄光院寂然草平居士<ref name="sakka"/>。
 
== 著書 ==