「長嶋茂雄」の版間の差分

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Dokkyomed (会話 | 投稿記録)
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== 経歴 ==
=== 生い立ち ===
[[1936年]]、千葉県[[印旛郡]]臼井町(現:[[佐倉市]])に生まれた。父は「利(とし)」、母は「ちよ」。兄1人・姉2人の4人兄弟の末っ子である。生家は[[農家]]だったが{{refn|group="注"| 『姓氏』(著者:[[丹羽基二]]、監修:[[樋口清之]])p237.によると、[[長嶋氏]]は[[平氏#桓武平氏|桓武平氏]][[平良文|良文流]][[千葉氏]]の末裔と述べている。}}。土地は貸し出し、父は[[臼井]]役場の[[収入役]]や[[副市町村長|助役]]をしていた<ref name="secomnagashima">[http://www.secom.co.jp/otona/nagashima/1110.html 第13回災害の年に向き合う日本の心は]、[[セコム]]、2011年10月3日、『おとなの安心倶楽部』</ref>。父は在所の世話役だけに短気ではなく、母は意志が強いしっかり者だった<ref name="secomnagashima"/>。
 
幼少時代、[[東急フライヤーズ]]の青バットこと、[[大下弘]]や[[大阪タイガース]]の[[藤村富美男]]のプレーを見て野球選手を志すようになる<ref>[[日本テレビ放送網|日本テレビ]]『[[知ってるつもり?!]]』藤村富美男、1998年12月6日放送での長嶋のインタビュー、[[読売新聞]]連載「時代の証言者 長嶋茂雄」、2006年、[http://www.yomiuri.co.jp/feature/mister/ 時代の証言者・長嶋茂雄 : 特集 : YOMIURI ONLINE(読売新聞)]{{リンク切れ|date=2016-12}}</ref>。藤村への憧れから、当時の関東在住者としては珍しく、幼少期は[[阪神ファン]]だった<ref>小林信也著『長嶋茂雄 夢をかなえたホームラン』1992年、39頁。</ref>。小学4年生から兄の影響で野球を始めたが、当時は終戦間もなくということもあって道具があまり揃えられず、母親に[[ビー玉]]と堅い布で[[ボール (野球)|ボール]]を作ってもらっていたという。また、[[グラブ (野球)|グラブ]]も母親の手縫いのもので<ref name="100-20-111">『100人の20世紀(下)』(61)長嶋茂雄[[[西村欣也]]執筆][[2001年]]、朝日文庫、p.111</ref>、初めて握った[[バット (野球)|バット]]は[[竹|青竹]]を割った手製のものであった<ref name="nytjul82007">[[沢木耕太郎]]著「三人の三塁手」(『敗れざる者たち』収録)</ref>。