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[[縄文時代]]の遺跡も数多く確認されているが、三崎山遺跡([[飽海郡]][[遊佐町]])では大陸との交易によって入手したとみられる約3000年前の青銅刀子が出土している<ref>横山昭男・誉田慶信・伊藤清郎・渡辺信『山形県の歴史』p.21-22</ref>。日本国内での出土例としては最も古い部類に入る。日本海の海運によって弥生文化の伝搬も早期にもたらされたが、弥生後期には続縄文文化が県内を南下し、寒冷化による村落の水没とも相まって最上川流域では稲作が衰退した<ref>横山昭男・誉田慶信・伊藤清郎・渡辺信『山形県の歴史』p.26</ref>。
 
山形県で[[古墳時代|古墳文化]]が到来した時期は、思いのほか早く(海上の日本海側の交易ルートは新潟の糸魚川産の[[翡翠]]などの例もあるように古代から拓けていたため)、米沢盆地内の[[米沢市]]摘山古墳や[[南陽市]]にある蒲生田山2号墳から - 4号墳の古墳は、4世紀前半には造営されていた。そして、県内最大、東北5番目の大きさを誇る[[前方後円墳]]の[[稲荷森古墳]](全長96[[メートル|m]]、南陽市)が出現したのは375 - 400年の頃であった<ref>誉田慶喜「山形の夜明け」28-30ページ(横山昭男・誉田慶信・伊藤清郎・渡辺信『山形県の歴史』山川出版社 2003年2月)</ref>。
 
<!--[[出羽国]]の南部に当たる地域。-->当初、庄内地方は[[越後国]]の、置賜・村山・最上地方は[[陸奥国]]の一部であったが、越後国からの要請があり、[[和銅]]元年([[708年]])[[出羽郡|出羽(でわ)郡]]が置かれた。出羽は初め「いでは」と読み「出端」の意味で、越後の国からみて北端に出ていたことから命名されたらしい。さらに翌年、[[出羽柵]]が設置された。出羽郡の範囲は、ほぼ[[最上川]]より以南の[[庄内地方]]を指していたらしいが、位置についての説は色々あって確定していない。和銅5年9月23日([[712年]]10月27日)<ref>『続日本紀』</ref>、出羽国建国が奏上され、[[元明天皇]]から裁可されて、同年([[10月 (旧暦)|10月]])に陸奥の国から[[最上郡|最上]]・[[置賜郡|置賜]]の2郡を分けて[[出羽郡]]に合併し、[[出羽国]]が設けられ、庄内に国府が置かれた([[城輪柵]])<ref>誉田慶喜「出羽国のはじまり」38-40ページ(横山昭男・誉田慶信・伊藤清郎・渡辺信『山形県の歴史』山川出版社 2003年2月)</ref>。[[仁和]]2年([[886年]])最上郡が2郡に分割され、北が[[村山郡]]、南が最上郡となる。この頃には[[羽州街道]]も整備されている。県名は、山の近くという意味の町名、山方に由来すると言う。
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== 経済・産業 ==
=== 農業 ===
山形県は果樹王国として全国的に有名である。主な生産品としては[[サクランボ]]や[[ブドウ]]がある。高級ブランド'''佐藤錦'''が有名である
*[[サクランボ]] - '''佐藤錦'''の生産地
*[[セイヨウナシ]] - [[ラ・フランス]]の生産地
*[[ブドウ]]
*[[ホップ]] - ホップの生産状況(東北)について(2006年 東北農政局統計)
米の収穫量は、かつては農業生産の約七割が米だった。[[2006年]](平成18年)の県別順位で5位の419,000トン(農林水産省統計)で、東北各県や新潟県とともに稲作が盛んな地として知られる(主力品種:[[はえぬき]]、つや姫)。
*庄内地方では[[養豚]]が盛んに行われている([[三元豚]]など)。酒田市には[[養豚]]試験場がある。