「攻城砲」の版間の差分

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このため大砲の重量は相当なものになり、中世では初期の攻城砲として巨砲が作られた。しかし[[要塞砲]](coastal artillery)とは異なり敵地へ運搬する必要がある攻城砲は、近世まで船舶輸送を除けば馬匹牽引か人力しか移動手段がなかったため、以降は過度の大型化は避けられるようになる。[[フランス革命戦争]]頃には、野戦運用可能な攻城砲はカノン砲は24ポンド、臼砲は12インチが上限となった。この頃の攻城砲は大型の野戦砲としての側面も有していた。
 
その後、近代になると要塞の堅固化により再び大型化が求められるようになり、輸送手段の進歩でそれを可能にしつつも分解移動し現地で組み立てた上で運用されるようになる。また[[列車砲]](railway(railway gun, railroad gun)gun)も攻城砲の運搬方法として用いられ、攻城砲は野戦での運用を考慮しない攻城戦専用の兵器となる。昭和初期の攻城砲はカノン砲で15センチ、榴弾砲で20センチ、臼砲で42センチ以上のものが必要とされた。
 
巨大化し運用も困難になりつつあった攻城砲は、第二次世界大戦以降は航空機による[[トールボーイ|超大型爆弾]]の[[水平爆撃]]、そしてその水平爆撃に取って代わった[[弾道ミサイル]]の誕生により、[[戦艦]]と同様にその役割を終えることになる。