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縁結びの信仰がいつから始まったかという点は正確には不明だが、江戸時代中期には確実に出雲大社(大国主)の縁結び信仰が広まっていた模様。確認できる最古の文献として、江戸・元禄時代に井原西鶴が記した『世間胸算用』に「出雲は仲人の神」と記述ありとされる。そも(抑)、[[神在月]]の謂われはいつの頃から存在したかという点について、古くは平安時代末に藤原清輔により著された歌学書『奥義抄』では「十月(かみなつき)、天下のもろもろの神、出雲国にゆきて、こと国に神なきが故にかみなし月といふをあやまれり」(意訳:十月は「かみなし月」というべきところを「かみなつき」と誤っている)という記述があり、既に平安時代末の頃には十月に神々が出雲に集まるという話、信仰が広まっていたともされる。同時代、藤原範兼による歌学書『和歌童蒙抄』にも、「十月は万の神たち出雲ノ国へおはしますに依て神無月と云う」とあったとされ、室町時代には、辞書『下学集』に 「出雲国には神有月と云うなり」とあり、ここで初めて神有月([[神在月]])という言葉が出てきたとされる。他、室町以降は様々な文献等に散見され、室町時代以降は一般大衆の間にも、「十月に出雲に神々が集まる」という話が広まっていた模様。
 
この他にも、中世には武士や刀鍛冶などから武神、軍神としても広く信仰されていた。記紀神話には直接的な武威の表現は見られないが、武を象徴する別名があることや、[[スサノオ]]の元から手にした[[生大]][[生弓]]を用い国を広く平定したことなどから、そうした信仰になったと考えられる。このため武士政権が崩壊した明治以降現在も、武術家や武道家などから信仰されている。また江戸期には全国的な民間信仰の広まりにより、「大国」はダイコクとも読めることから同じ音である[[大黒天]](大黒様)と習合していった。<!-- 子のコトシロヌシが[[えびす]]に習合していることから、大黒様とえびすは親子と言われるようになった。←これだけではエビス信仰について偏った印象を与える可能性が高い。エビス神は由来不明というのが正しくwikipediaは蛭子説と事代主説に対して中立であるべき -->このため比較的歴史の浅い神社などでは、[[大黒天]]が境内に祀られていることが多い。
 
また前述の{{要出典範囲|呪術的、あるいは武力的な神格を用いて、所出不明の神などが祀られていた神社などの祭神に勧誘される場合も多く散見される。小さな集落などでは時に氏子などが断絶するなどで廃社となった神社もあり、こうした場合に本来の祭神が誰なのか不明となることが多く、こうした神社を復興させる際に本来祀られていた神の祟りなどを鎮めるといった意味合いから、こうした神格を持つ大国主命が配される|date=2015年10月}}ことがある。