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[[ファイル:Jean-Francois Champollion - Plan Des Ruines De Sais.cropped.png|thumb|250px|サイス遺跡の地図。1828年、[[ジャン=フランソワ・シャンポリオン]]が遠征中に作成]]
 
'''サイス'''({{Lang-grc|Σάϊς}}、Sais)は[[古代エジプト]]の町で、[[ナイル川]]河口付近の三角州西側に位置していた<ref name="WebsterNinthNewCollege">Mish, Frederick C., Editor in Chief. "Saïs." ''Webster's Ninth New Collegiate Dictionary''. 9<sup>th</sup> ed. Springfield, MA: Merriam-Webster Inc., 1985. ISBN 0-87779-508-8, ISBN 0-87779-509-6 (indexed), and ISBN 0-87779-510-X (deluxe).</ref>。[[下エジプト]]第5[[ノモス (エジプト)|ノモス]]の都で、[[エジプト第24王朝]](紀元前782年 - 紀元前720年)と[[エジプト第26王朝]](紀元前664年 - 紀元前525年)では首都とされた<ref name="Shaw">Ian Shaw & Paul Nicholson, The Dictionary of Ancient Egypt, British Museum Press, 1995. p.250</ref>。古代エジプトでは'''ザウ''' (Zau) (Zau)と呼ばれていた。現在は'''サ・エル=ハジャル''' (Sa(Sa el-Hagar) Hagar)と呼ばれている。
 
[[ヘロドトス]]は、サイスに[[オシリス]]の墓があると記している。[[セト]]に殺されたオシリスのバラバラ遺体がサイスのそばにある湖投げ込まれたという<ref>[[ヘロドトス]]、『[[歴史 (ヘロドトス)|歴史]]』第2巻 171.</ref>。
 
女神[[ネイト (エジプト神話)|ネイト]]が守護神であり、その信仰は第1王朝のころから存在していた<ref name="Shaw"/>。ヘロドトス、プラトン、[[シケリアのディオドロス]]といったギリシア人がネイトを[[アテーナー]]に比定したため、[[アテナイ]]とも関係が深いとされた<ref>[[シケリアのディオドロス]], [http://books.google.com/books?id=agd-eLVNRMMC&printsec=titlepage#PPA336,M1 『歴史叢書』 第5巻 57]</ref>
 
[[プラトン]]の『[[ティマイオス]]』と『[[クリティアス (三十人僭主)|クリティアス]]』では、サイスは[[ソロン]]が[[アトランティス]]に関する話(ギリシアやエジプトを軍事的に侵略していたが、天災によって突然崩壊したこと)をエジプトの神官から聞いた都市とされている。ソロンがエジプトを訪れたのは紀元前590年のことで、プラトンがそれを著作に記したのは紀元前395年ごろ、ソロンのエジプト訪問から200年後のことだった。プラトンによると、アテナイと[[アトランティス]]を破壊したと言われている[[大洪水#ギリシア|大洪水]]の前にアテーナーがサイスを作ったが、その大洪水ではギリシア中の都市が破壊されたが、サイスを含むエジプトの町は生き延びたという。プラトンはまた、[[ファラオ]]である{{仮リンク|イアフメス2世|en|Amasis II}}の生誕地がサイスだったとしている<ref>[[プラトン]]、『[[ティマイオス]]』</ref>。
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[[プルタルコス]]は、エジプトではイシスが[[ミネルウァ]](アテーナー)と同一視されているとし、サイスにあるその神殿には「私はかつてあり、今もあり、これからもある全てである。そして私のヴェールを人間が引き上げたことはない」という碑文があったとしている<ref>Plutarch, ''[http://thriceholy.net/Texts/Isis.html Isis and Osiris]''", ch. 9.</ref>。
 
[[エジプト新王国]]時代後期(紀元前1100年ごろ)より古い遺跡はほとんど現存していない。これは[[日干しれんが]]が建材として使われていたため、後世の農民がそれを肥料に転用したためである<ref name="Shaw"/>。
 
== 脚注・出典 ==