「吹奏楽の歴史」の版間の差分

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=== 昭和(戦後)・平成 ===
[[ファイル:Statue of Tsunemitsu Yamaguchi.jpg|left|thumb|140px|生地壱岐に立てられた警視庁音楽隊楽長[[山口常光]]の像([[長崎県]][[壱岐市]][[勝本町]])]]
[[1945年]](昭和20年)の[[太平洋戦争]]終結とともに軍楽隊は解散し、隊員は楽器をたずさえて復員した。まもなく[[宮内庁]]に[[禁衛府]]皇居奏楽隊が結成され(翌[[1946年]]3月に解散)、陸軍軍楽隊の場合であれば、この楽隊から日本放送吹奏楽団([[日本放送協会|NHK]]吹奏楽団)を経て、それぞれの道に進んだ<ref name=abe32/>。このほか、旧軍楽隊員はそれぞれの条件等に応じて、[[警察予備隊]][[音楽隊 (陸上自衛隊)#中央音楽隊|総隊総監部仮分遣隊]]([[1951年]]結成)、[[警察音楽隊|警視庁音楽隊]]([[1948年]]再結成)、[[消防音楽隊|東京消防庁音楽隊]]([[1949年]]結成)、[[海上保安庁音楽隊]](1951年結成)などの道に進んだほか、民間の[[交響楽団]]員、[[ジャズバンド]]奏者、[[音楽大学]]の教員などとしても活動した<ref name=tsukahara113/>。陸軍軍楽隊では、[[山口常光]]は警視庁音楽隊の再結成に参画しその楽長になっており、さらに[[須摩洋朔]]は[[NHK交響楽団]]奏者を経て警察予備隊総隊総監部仮分遣隊([[音楽隊 (陸上自衛隊)|陸上自衛隊中央音楽隊]])初代隊長、[[松本秀喜]]は[[音楽隊 (航空自衛隊)|航空自衛隊航空中央音楽隊]]初代隊長となるなど、陸空[[自衛隊]]音楽隊の結成に参画した<ref>[[#山口|山口(1973)]]</ref>。いっぽう、海軍軍楽隊は、内藤清五らを中心とする主な楽隊員は[[東京都吹奏楽団]]を経て、東京消防庁音楽隊に加わった。一部の海軍軍楽隊員は[[音楽隊 (海上自衛隊)|海上自衛隊音楽隊]]に参加した<ref>[[#楽水会|楽水会(1984)]]</ref>。
 
おりしも、敗戦直後から[[横浜市|横浜]]・東京など各地に[[連合国軍最高司令官総司令部|進駐軍]]のための施設「クラブ」が設けられ、そこではフルバンドの需要があったため、軍楽隊員だった者のなかには[[バンドマン|バンドプレイヤー]]として働く者もあらわれた<ref name=abe32/><ref name=toya126>[[#東谷|東谷(2001)pp.126-149]]</ref>。クラブには、[[将校]]用、[[下士官]]用、兵員用、民間用があり、将校用は[[夫人]]をともなっての赴任が多いためダンス音楽が多く、下士官や兵員用のクラブではジャズや[[ポピュラー音楽|ポップス]]の人気が高かった<ref name=toya126/>。たとえば、陸軍軍楽隊出身の[[高澤智昌]]が率いたバンド「[[クラックスター]]」は、進駐軍向けバンドとして活動したのち、[[服部良一]]に認められ、のちに[[笠置シヅ子]]、[[藤山一郎]]、[[雪村いづみ]]などと共演している。このように戦後の吹奏楽は、ジャズや[[歌謡曲]]などポピュラー音楽とも深い関連をもちながら発展した<ref name=abe32/>。しかし、軍楽隊と民間バンドとでは、その求められるレパートリーや音楽的能力・技術の懸隔がはなはだしく、決して誰にでも可能な転身ではなかった<ref name=tsukahara113/>。