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| 出身 = [[吉本総合芸能学院|NSC]]大阪校13期(徳井のみ)
| 影響 =
| 出会い = 自動車教習所菊の花幼稚園
| 旧コンビ名 =
| 現在の活動状況= テレビ・ライブなど
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| 公式サイト =
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'''チュートリアル'''(''TUTORIAL'')は、[[徳井義実]]と[[福田充徳]]による日本の[[お笑いコンビ]]。[[よしもとクリエイティブ・エージェンシー]]に所属。2006年[[M-1グランプリ]]王者。[[京都府]][[観光大使]](2012年11月 - )。略称は'''チュート'''。2人とも[[京都府]]出身(福田は自称)
 
== メンバー ==
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: [[京都市]][[左京区]]出身。
: [[身長]]178cm、[[体重]]65kg、血液型A型。
; '''[[福田充徳]]'''('''ふくだ じゅうとくみつのり'''、[[1975年]][[8月11日]] - )
: ツッコミ担当。立ち位置は向かって右。
: [[埼玉県]][[上尾京都]][[平方 (上尾市)|平方]]左京区出身。
: 身長174cm、体重56kg。血液型O型。愛称は「福ちゃん」。
: 両親は公務員。兄がいる。[[大阪学院大学]]経済学部卒業。
: NSC卒業生でない吉本興業所属芸人の中で、M-1グランプリで優勝したのは福田が初めてである。
 
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徳井単独ではNSC13期であるが、NSC卒業後、一時芸人業から離れており、福田の誘いで再度芸人業に就いたため、チュートリアルとしては[[麒麟 (お笑いコンビ)|麒麟]]などの大阪NSC20期や[[トータルテンボス]]などの東京NSC3期とほぼ同期で、これは福田の芸歴とも重なる。
 
出会いは5歳のときで、幼稚園から予備校まで同級生だった。5歳で出会ってから一度も、大きな喧嘩をしたことがないと随所で語っている。実際同じクラスだったのは小学校1、2年生、中学校2年生のときだけ。同じクラスになった時は常に一緒に行動するくらい仲がよかったが、それ以外は幼なじみだったためよく遊んでいたものの、いつも一緒にいる程ではなかった。彼らは昔の自分たちのことを「定期的にくっついたり離れたりする関係」と述べている<ref>麻布台出版社『[[お笑いポポロ]]』Vol.2(2003年2月発売)より。</ref>。しかし高校3年生から浪人時代、大学1年の頃までは、喫茶店で5~6時間しゃべったあとまたしゃべりたくなってどちらからともなく電話をし、3時間しゃべったあとまた会いたくなり、ドライブに出かけるくらい仲がよかった。そのため、周囲から[[同性愛]]を疑われたこともある。また、ほぼ毎日一緒に会っているため、それぞれが当時付き合っていた彼女に「私と福田(徳井)くん、どっちが大事なのよ」と怒られた。その際、徳井は「お前(彼女)の方が大事だ」と言ったが、福田は「徳井の方が大事」と言った<ref name="typ11">麻布台出版社『お笑いポポロ』Vol.1(2002年12月発売)27ページ~28ページより。</ref>。小学校2年のときに「うさぎちゃんの耳」という歌を作詞作曲している<ref>[http://kakaku.com/tv/search/keyword=%E3%81%86%E3%81%95%E3%81%8E%E3%81%A1%E3%82%83%E3%82%93%E3%81%AE%E8%80%B3/ 価格.com] より。なお、この曲は「キョートリアル」のコーナーから生まれ発売されたオリジナルCD『[[キョートリアル!コンニチ的チュートリアル#「こらしめたいの」|こらしめたいの]]』のカップリングに収録されている。</ref>。
出会いは自動車教習所。
福田が徳井を京都・河原町通の居酒屋で誘い、1998年正式に「チュートリアル」結成。徳井が福田に誘われ、福田とお笑いをやろうと決めた理由は「何度かコンビを組んでいて笑いの価値観が同じであることが大切だとわかったとき、今まで振り返ってみて一番笑いの価値観が合っていた」<ref>平成15年6月19日発行 CUT お笑いX世代 より</ref> からと言う。お笑いは観るものだと思っていた福田が徳井を誘った理由は、徳井がNSCの中で「ようウケてる」という噂を聞いてもったいないと思ったこと<ref>平成19年4月9日号 FromA 福田単独インタビューより</ref> と、一番仲が良く笑いのツボも一緒だった親友の徳井が、他の友人とお笑いをやることに違和感を持ったため。ABCお笑い新人グランプリ優秀新人賞、上方漫才大賞新人賞などを獲得し、2006年、第6回「M-1グランプリ」優勝。2007年、東京へ拠点を移した。
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== 略歴 ==
=== コンビ結成前 ===
徳井は[[京都市]][[山科区]]、福田は[[上尾]][[平方 (上尾市)|平方左京区]]出身。
 
2人は[[幼馴染み]]で、[[幼稚園]](菊の花幼稚園)→[[小学校]](京都市立修学院小学校)→[[中学校]](京都市立修学院中学校)→[[高等学校|高校]]([[京都府立北稜高等学校]])を共に過ごす。そして二人揃って[[大学受験]]に失敗し、同じ予備校(河合塾(徳井は京都校、福田は上尾校)で1年間[[大学浪人|浪人]]。その後、徳井は[[花園大学]]に、福田は[[大阪学院大学]]に進学した。
 
徳井は、高校在学中にお笑い芸人「[[ティーアップ]]」の漫才を友人と完全コピーして行った時、笑いがとれたことがきっかけでその友人と「赤とんぼ」というコンビを組み、漫才を始める。さらに大学浪人時代には、『[[天才・たけしの元気が出るテレビ!!]]』の「お笑い甲子園」で優勝した経験を持つ友人から[[吉本総合芸能学院|NSC]]に一緒に行こうと半ば強引に誘われ、NSC13期生として入学し「チューイング」を結成。しかしNSC卒業後、徳井を誘った相方が彼女との結婚を考え芸人引退を決意し、コンビは解散。徳井自身もお笑いを辞め、大学に進学した。
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===2001年===
; 第1回大会 決勝8位【出番:3番 得点:637 / 1000点(特別審査員の合計点は 483 / 700点)】
: キャッチフレーズは「'''お笑い[[陰陽師]]'''」<ref>徳井の出身地・京都出身に引っかけて</ref>。
: 「昔話」というネタを披露。一般審査員の得点を含めると10組中8位だが、特別審査員の得点では最下位であり、特別審査員の合計歴代最低得点を記録。[[松本人志]]からは大会史上での個人最低得点「50点」を付けられる(M-1には50点未満の点数は付けてはいけないという暗黙の了解があるため、50点を付けられるということは、事実上「0点」を意味する)という散々な結果だった。後に「小部屋で、あのときのビデオを四方から見せられたら死ぬ」「ホンマにもう、芸人やめたいと思った」とコメントしている。
 
496行目:
*[[お笑いタレント]]
*[[日本お笑い史]]
*[[京都府出身の人物一覧]]
*[[ブラックマヨネーズ]]
*[[TKF]]
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[[Category:日本のお笑いコンビ]]
[[Category:吉本興業]]
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[[Category:M-1グランプリ優勝者]]