「道南十二館」の版間の差分

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==== 花沢館、勝山館 ====
[[上ノ国町]]にある'''花沢館'''は[[天の川 (北海道)|天の川]]河口付近の標高58mの尾根に立地しており2004年と2005年に上ノ国町教育委員会によって発掘調査が行われている。調査では溝・柵列跡・空壕・土塁が検出されている。空壕は幅約2~2.2m、深さ約1mであり土塁は底部幅約6.6m、高さ約1.3mである。遺物は青磁碗・白磁皿・珠洲擂鉢・銅銭・鎌が出土している。遺物の年代は15世紀中頃が主体と思われる。発掘調査面積が狭いため断定は難しいが青磁雷文帯碗が出土していることや擂鉢がすべて珠洲焼きに限定されていることなどから花沢館は1470年代より以前に館としての機能を失った可能性が高い。花沢館廃絶後、館の機能は'''[[勝山館]]'''に移ったと思われる。花沢館は峻険な地形に構築されているため平場が狭く山頂の主郭64m×20mほどの広さしかない。このため他の館主を統率する上国守護職の政治的拠点としては不自然として当時の蠣崎氏の地位や上国守護職の存在自体を疑問視する意見もある。「新羅之記録」によると花沢館主である蠣崎季繁が1462年に死去しており文献史料と考古学の成果が一致していることが推測される。
 
==== 原口館 ====