「鉾田陸軍飛行学校」の版間の差分

削除された内容 追加された内容
m編集の要約なし
Cewbot (会話 | 投稿記録)
m ウィキ文法修正: 間違った画像オプション 空のオプションを削除する:"" lintId=5448398
12行目:
鉾田陸軍飛行学校の編制は[[陸軍航空総監]]に隷属<ref group="*">隷属(れいぞく)とは固有の上級者の指揮監督下に入ること。単に指揮系統だけでなく、統御、経理、衛生などの全般におよぶ。『帝国陸軍編制総覧 第一巻』61頁</ref>する校長のもと、幹事、本部、教育部、研究部、材料廠<ref group="*">材料廠(ざいりょうしょう)とは、器材の組み立てや修理および管理などを行う部署のこと。</ref>、および学生であった。鉾田陸軍飛行学校は当初、浜松陸軍飛行学校内に開設され<ref>彙報 鉾田陸軍飛行学校設置。[{{NDLDC|2960681/12}} 『官報』第4183号、1940年12月11日]</ref>、[[1941年]](昭和16年)1月、茨城県鹿島郡[[新宮村 (茨城県)|新宮村]](現在の鉾田市中部)に移転した<ref>彙報 鉾田陸軍飛行学校移転。[{{NDLDC|2960709/21}} 『官報』第4211号、1941年1月22日]</ref>。
 
[[File:Ki-32 Mary in flight2.jpg||250px|thumb|主として太平洋戦争以前に使用された[[九八式軽爆撃機]]]]
鉾田陸軍飛行学校令により、同校の被教育者は次のとおり定められた(1940年12月時点)。