「ジャン (ルクセンブルク大公)」の版間の差分

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== 経歴 ==
[[File:GD Jean of Luxembourg and his wife Josephine-Charlotte 1964-11-12.jpg|thumb|left|250250px|即位式(1964年11月12日)]]
[[1921年]]、大公家の居城ベルク城でルクセンブルク女大公[[シャルロット (ルクセンブルク大公)|シャルロット]]の長男(第1子)として生まれる。父は[[パルマ公国|パルマ]][[パルマ公の一覧|公]][[ロベルト1世 (パルマ公)|ロベルト1世]]の子で[[オーストリア=ハンガリー帝国|オーストリア]]皇后[[ツィタ・フォン・ブルボン=パルマ|ツィタ]]の弟[[フェリックス・ド・ブルボン=パルム|フェリックス]]。[[ローマ教皇]][[ベネディクトゥス15世 (ローマ教皇)|ベネディクトゥス15世]]に洗礼を施された。ルクセンブルク国内で初等教育を修了し、[[イギリス]]の[[ノース・ヨークシャー]]にあるローマ・カトリック系の[[寄宿学校]]アンプルフォース・カレッジ(Ampleforth College)に進学した。[[1939年]]に成人(ルクセンブルクの成人年齢は18歳)すると、正式に[[エルププリンツ|大公世子]]となった。