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[[File:Pascual Jordan 1920s.jpg|thumb|Pascual Jordan]]
'''エルンスト・パスクアル・ヨルダン'''('''Ernst Pascual Jordan'''、[[1902年]][[10月18日]] - [[1980年]][[7月31日]])は、[[ドイツ]]の[[物理学者]]。姓は'''ジョルダン'''とも表記される。[[量子力学]]に数学的基礎を与えた物理学者の一人である。[[{{仮リンク|ジョルダン代数|en|Jordan algebra|label=ヨルダン代数]]}}で知られる。
 
==人物・生涯==
[[ハノーファー]]で生れた。[[ハノーファー大学|ハノーファー工科大学]]で学んだ後、[[ゲオルク・アウグスト大学ゲッティンゲン|ゲッティンゲン大学]]で学位をとった。[[マックス・プランク]]、[[ヴェルナー・ハイゼンベルク]]のもとで研究した。1929年[[ロストック大学]]の教授となった。1933年[[国家社会主義ドイツ労働者党|ナチ党]]に参加し、[[突撃隊]]のメンバーになった。1942年[[マックス・プランク・メダル]]を受賞し、1944年、[[マックス・フォン・ラウエ]]の後をついで[[フンボルト大学ベルリン|ベルリン大学]]の教授になった。戦後は大戦中の政治的立場から公職を追われ、1947年からは[[ハンブルク大学]]の客員教授の立場となり、1953年になってハンブルク大学の教授職についた。戦後も反動的な立場で政治的な発言を行った。
 
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[[Category:ドイツの物理学者]]