「中野泰宏」の版間の差分

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→‎略歴: 呼称の修正 本因坊秀芳 → 石田芳夫(対局した2006年時点では「石田芳夫九段」、二十四世本因坊の襲名はそれより後の2008年)
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* [[1992年]] 入段を果たす。
* [[2005年]]1月、2004年度で[[大手合]]制度が廃止されるため、昇段規定改定経過措置中に九段に昇段したため、大手合の成績が加味され九段に昇段した。このため大手合による最後の九段棋士ともいえる。
* [[2006年]][[4月9日]]放送の、第54回[[NHK杯テレビ囲碁トーナメント|NHK杯]]1回戦において[[石田芳夫|二十四世本因坊秀芳]]と対戦。終局直前の場面、黒番・中野優勢であったところ(解説の[[小林光一]]曰く、盤面13目差で黒6目半勝ち)、自ら駄目を詰めて5子を取られに行くという大失着を犯し(その結果、左辺一帯の黒石は全滅)、まさかの大逆転負けを喫した。関西棋院が2007年末に発売した「囲碁格言カルタ」には、これを題材にした「[[アタリ (囲碁)|アタリ]]に突っ込むプロもいる」という一枚が入っている。また本人にとっても衝撃を受けたようで、関西棋院の自身の紹介ページでファンへの一言が、本件についてとなっている他[[日本棋院]]の棋士リレーエッセイでも言及している<ref>[http://www.nihonkiin.or.jp/blog/kimagure/2007/03/no25.html プロ棋士の気まぐれリレー日記2007年3月9日]</ref>。
* [[2007年]]6月末、生活の本拠を東京へ移す。関西棋院での対局には交通費自己負担で大阪へ戻り、大阪滞在中は関西棋院寮に間借りしていたが、結婚後の2012年6月関西に居を戻している<ref>[http://gotu3.exblog.jp/15778925/ GOTU-3 2012年4月26日 関西へ]</ref>。
* [[2013年]]、[[産経プロアマトーナメント戦]]決勝で、学生囲碁十傑などの実績を持ち日本棋院院生経験のある柳田朋哉アマの先番コミなしの手合いで対局し、6目勝ちを収め念願の棋戦初優勝を果たす。