「芳賀書店」の版間の差分

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1936年、[[巣鴨]]にて創業<ref name=asahi>{{cite web|url=http://www.asahi.com/area/tokyo/articles/MTW20150416131190001.html|title=神保町…本の街(3)|work=朝日新聞|publisher=朝日新聞社|date=2015-04-16|accessdate=2015-06-20}}</ref>。古書を中心に販売していたが、1945年に空襲で被災する<ref name=jimbou>{{cite web|url=http://jimbou.info/town/ab/ab0126.html|title=芳賀書店 本店|work=BOOK TOWN じんぼう|publisher=連想出版|accessdate=2015-06-20}}</ref>。1948年に[[神田神保町]]へ移り、新刊本や特価本の販売も始める<ref name=asahi/>。1961年には出版部門を立ち上げ<ref name=jimbou/>、[[新日本文学会]]の大会記録や会に関連する著者の本を刊行した。
 
1960年代から1970年代にかけては[[小山弘健]]や[[いいだもも]]、[[滝田修]]ら反[[日本共産党]]の左翼人や[[新左翼]]の本を発行し、[[模索舎]]、[[ウニタ書舗]]などと共に新左翼セクトの機関誌を置く書店として知られる一方、全国的には1971年から1990年代半ばまでは「シネアルバム」と題した映画スターの写真集の出版・発行元として広く知られていた。また、1972年から1982年まで「芳賀芸術叢書」と題した教養書のシリーズも刊行していた。
1967年、[[寺山修司]]の『[[書を捨てよ、町へ出よう]]』を出版する<ref name=asahi/>。
1960年代から1970年代にかけては[[小山弘健]]や[[滝田修]]ら反[[日本共産党]]の左翼人や[[新左翼]]の本を発行し、新左翼セクトの機関誌を置く書店として知られる一方、全国的には1971年から1990年代半ばまでは「シネアルバム」と題した映画スターの写真集の出版・発行元として広く知られていた。
 
1967年、[[寺山修司]]の『[[書を捨てよ、町へ出よう]]』を出版する<ref name=asahi/>。
模索舎と同様に反権力のアングラ書店として、[[新宿]]の[[アンダーグラウンド (文化)|アングラ文化]]との親和性を持ち、[[平岡正明]]、[[大島渚]]ら新左翼とアングラ文化の境界線上を行き来する文化人の著書を出版、更に1970年代初期より、[[団鬼六]]の『[[花と蛇]]』シリーズの初版を発行。更に団と[[篠山紀信]]、[[森山大道]]らとのコラボレーション写真集を企画、刊行した。
 
1979年、アダルト商品を取り扱う神田古書センター店がオープンする<ref name=jimbou/>。その後、本店でもアダルト商品中心の販売へ移行する<ref name=jimbou/>。1980年代半ばには年商が24億円に達した<ref name=asahi/>。