「世界真光文明教団」の版間の差分

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世界は多くの層からなる[[地獄]]、肉体界、[[アストラル界]]、[[霊界]]からなり、頂点に主神があり、いく柱かの主な神々が補佐するとされる<ref name=Staemmler/>。
 
人間は、霊体・[[幽体]]([[アストラル体]]<ref name=Staemmler/>)・肉体の三位一体の存在で、霊が主で、幽体(心)が従 、肉体が属の関係であるという教義であり、これの上に[[手かざし]]が成り立っている<ref name=numata/>。ほとんどの病気、災い、経済上や人間関係の問題は、汚染、食品添加物、医薬品、悪行、またしばしば悪霊によるアストラル体への憑依であると信じられている<ref name=Staemmler/>。少なくとも8割、ほぼすべての人間が霊に憑依されており、霊に憑依されている人は霊障にあっており、不幸であると考える<ref name=numata/>。憑依する霊は、害を受けたものが恨んで憑く恨みの霊、正しい先祖供養が行われていないため幽界で苦しみ迷い出た先祖の霊、先祖供養がおろそかであることによる守護力の低下・本人の霊が弱っていることによる無関係の霊の憑依があるとされる<ref name=numata/>。先祖供養が重視され、[[位牌]]をぞんざいに扱うと、先祖がアストラル界で苦しみ、子孫に病気や不幸をもたらすとされる<ref name=Staemmler/>。講習を受け入信することで「お浄め」または「真光の業」と呼ばれる[[手かざし]]ができるようになり、これによって人間、動物、植物、物体、空間などへのお浄めを行うことができるとされる<ref name=Staemmler/>。手から発する神の光が受け手の体を通り抜け、受け手の霊的な汚れを消し、病気のような汚れの肉体的現れも取り除くことができると信じられている<ref name=Staemmler/>。病気治しではなく、患者の霊的な体を清める行為であると強調されている<ref name=Staemmler/>。
 
本来人間は、神が人に顕現・変化したものであり、世界ができた当初人は神、仏そのものであったとする。宗教の役割とは、人間に元々ある神性を開発 ・復活させることであるが、多くの宗教は哲学化し本来の役割を果たしていないと考える。1、2年の修行で奇跡の力を手に入れることができるのは、人が本来神であるからであるとされる。関口栄は、人が宗教を求めるのは「奇跡と救い」を得るためであり、生きた活動をする本物の宗教では奇跡は日常的に起こるべきであるという。<ref name=numata/>
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===火の洗礼===
神が汚れた人類を大みそぎする「火の洗礼」、大地震・大爆発・大洪水などの自然災害、核戦争・[[最終戦争]]があると信じられている<ref name=numata/>。地球温暖化、自然破壊は、「火の洗礼」の時代が始まったことを示しており、利己主義と物質主義から目覚め、世界の刷新に備えなければならないと考えられている<ref name=Staemmler/>。主神は全ての人類を滅ぼすのではなく、岡田光玉によって「火の洗礼」を乗り越えた先の新しい文明のための「タネビト」を残そうとしており、このタネビトをなるべく多く用意し、「火の洗礼」の後に新しい文明を築き、主神の教えを実現することを目指す<ref name=numata/>。[[手かざし]]は人間に世界への刷新の準備をさせるものと考えられている<ref name=Staemmler/>。
 
「火の洗礼」の予言は、[[オイルショック]]以降の世界の終末を恐れる若者たちを教団に惹きつけた。[[真光系諸教団]]はめずらしく若者の参加の多い新宗教として一時期注目されていた<ref>[[#島田(2007)|島田(2007)]],p.158.</ref>。[[ノストラダムスの大予言]]で世界の終わりとされた20世紀末が過ぎた後は、予言の求心力は低下した。
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==手かざし==
不幸の原因を霊の憑依であるとして、浄霊で霊の障りを取り除けると考え、その方法である[[手かざし]]を「真光の業(わざ)」と呼んだ。信者が対象者の前に座り右手を額の前にかざすと悪霊が動き出す「霊動」が起こって浄化され、不幸が解決するとする。釈迦やキリストが行った奇跡の業と同様の行為であるが、3日間の初級の研修でだれでも可能であるとされている。これが真光の救済のシステムで、非常にシンプルなものである。
 
研修の最終日に、入信と同時に「おみたま」というペンダントを授けられ、これに生命力の根源とされる清めの光「真光」が受信され、その力が所有者に与えられるとされる。神から注がれる真光は通常でも受信しているが、「おみたま」も持つことで受信する力が格段に上がるとされている。「手かざし」は「おみたま」なしでもできるが、効果が大幅に増大するとされている。すべての信者の力は同等ではなく、初級・中級・上級の講習会で与えるおみたまの大きさは異なり、与えられる力も異なる。役職に就くことで力が多きくなることもよくあるとされる。<ref name=numata/>