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[[File:Pheasant in the snow by Ingen Ryō.jpg|right|thumb|200px|殷元良筆『紙本着色雪中雉子の図』(沖縄県指定有形文化財、沖縄県立博物館・美術館所蔵)]]
'''殷 元良'''(いん げんりょう、[[康熙]]57年[[12月21日 (旧暦)|12月21日]]([[1719年]][[2月9日]]) - [[乾隆]]32年[[3月29日 (旧暦)|3月29日]]([[1767年]][[4月27日]]))は、[[琉球王国]]の[[画家]]。琉球画壇の代表的絵師の一人。本名は'''座間味 庸昌'''(ざまみ ようしょう)。[[字]]は廷器。
 
==概要==
仲松里之主親雲上庸象と眞満の次男に生まれる。6、7歳で絵を描き始める。父は絵より字を練習するよう叱ったが、こっそり絵を描いたという。7、8歳で天才少年として評判になり、12歳のときより宮廷で育てられて[[山口宗季]](呉師虔)に絵を学ぶ。
 
[[三司官]]・[[蔡温]]より「廷器」の字を、また[[尚敬王]]より印を賜る<ref>[http://www.museums.pref.okinawa.jp/museum/issue/bulletin/image/kiyou30/30-3.pdf 津波古聰「殷元良の絵画資料」沖縄県立博物館紀要]</ref>。
 
[[1752年]]、[[進貢使]]の「大筆者」として[[清]]に渡り、帰国後に尚敬王の[[御後絵]]を描いた。[[花鳥画]]や[[山水図]]にすぐれた。のち[[座間味村|座間味]][[間切]][[総地頭]]となり、50歳で没した。作品に山水図」「』・『鶉(うずら)図」「』・『神猫図」「』・『雪中雉子の図などがある<ref>デジタル版 日本人名大辞典+Plus</ref><ref>朝日日本歴史人物事典</ref><ref>新城俊昭『琉球・沖縄史』東洋企画</ref>。
 
==主な作品==
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===『沖縄文化の遺宝』所載の作品===
[[鎌倉芳太郎]]『沖縄文化の遺宝 写真編』([[岩波書店]])は、殷元良名義で作品の写真が所収されている。いずれも鎌倉が[[大正]]年間に撮影したものである(所載作品は以下の通り)。
* 『粟鶉図』(p. 254、同部分p. 255)
* 『神猫図』(伝殷元良筆、p. 256)