「松山ホステス殺害事件」の版間の差分

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== 公訴時効寸前の逮捕と裁判 ==
[[1982年]]の犯行後、[[福田和子]]は[[東京]]へ向かい、美容整形手術で人相を変え、[[捜査機関]]からの追及をかわしていた。
 
その後[[金沢市]]で生活していることが判明したが、捜査が及ぶ直前に逃亡した。公訴時効成立を直前に迎えた[[1996年]]に松山東警察署は逮捕につながる情報を提供した者に対して100万円の報奨金を支払うとした上に、公訴時効直前には女性を整形した病院も400万円の報奨金を出すとして、マスコミの報道が過熱していた。そうした中で、[[福井市]]の飲食店からなじみの客が手配者に類似しているとの通報があり、密かに採取した[[指紋]]が一致したために[[1997年]][[7月29日]]に逮捕された。時効成立まで21日前の逮捕であった<ref>過去には[[1990年]]11月に[[川崎製鉄専務夫人殺人事件]](1975年)の犯人が時効成立40日前に逮捕された例がある。</ref>。
 
その後、福田は15年ぶりに松山市に身柄を送致されて取調べを受け、1997年[[8月18日]]に殺人罪で[[起訴]]された。公訴時効が成立する11時間前の起訴であった。