「フレデリクス・ルイシ」の版間の差分

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彼が最高の手腕を発揮したのは、解剖そして標本の展示や保存に使用した秘密の薬液「''liquor balsamicum''」(「芳醇な液体」の意か?)発明にあった。また、解剖した人体の骨格や組織を[[樹脂]]で固め、[[盆栽]]風ジオラマを作成したことでも知られる。後に女流[[画家]]となった彼の娘ラッチェル・ルイシ[[:en:Rachel Ruysch|(en)]]は[[花]]や[[レース (手芸)|レース]]で父の作品に装飾をする手伝いをしている。フレデリクスは自宅5部屋にこれら標本や作品類を展示し、「''repository of curiosities''」(「驚異の部屋」)と名づけて公開した。1697年には[[ロシア]]の[[ピョートル1世]]がここを訪れた。フレデリクスは[[チョウ|蝶]]の捕獲と標本の方法について教授し、またともに[[トカゲ]]に興味を持つなど共通点もあった。
 
[[アルベルトゥス・セバ[[:en:]](Albertus Seba|(en)]]と同様に、フレデリクスは1717年に彼の「[[驚異の部屋]]」を、保存用薬液の秘密とともに30,000[[ギルダー]]でピョートル1世に売り払った。分類や梱包の手助けを一切せずにコレクションが搬出される様を見送ると、フレデリクスは新たに標本の収集を始めた。これらは、彼の死後に[[アウグスト2世 (ポーランド王)|アウグスト2世]]が買い取った。
 
彼が収集した標本のいくつかは現存するが、彼の「作品」はどれも亡失しており、わずかにCornelius Huyberts作の彫版などで伺い知れるのみである。彼は[[ヘルマン・ブールハーフェ]]との共著を残している。