「ゲオルク・ヴィルヘルム・フリードリヒ・ヘーゲル」の版間の差分

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とりわけ、ベルリン大学で過激思想を喧伝していたのが、カント派の論理学者であった{{仮リンク|ヤコーブ・フリードリヒ・フリース|en|Jakob Friedrich Fries}}である。彼は『ドイツ人の幸福と国民性に対するユダヤ人の脅威』({{lang-de|''Ueber die Gefährdung des Wohlstandes und Charakters der Deutschen durch die Juden,1816}}'')を出版、ユダヤ人を社会の寄生虫と罵り、ユダヤ人の教育機関を閉鎖するべきだと主張した。フリースは[[人種主義]]的愛国主義と[[テロリズム]]の擁護者となった<ref name="R. スペンサー(1996)101">[[#R. スペンサー(1996)|R. スペンサー(1996)]] p.101</ref>。
 
ヘーゲルはフリースの盲目右翼的愛国主義に強く反発し、『法の哲学』序文にあってフリースを「昨今流行の軽薄さの将帥」、「恣意的詭弁の擁護者」としてこき下ろした<ref name="R. スペンサー(1996)101">[[#R. スペンサー(1996)|R. スペンサー(1996)]] p.101</ref>。ヘーゲルにとって国家とは激情に左右されるものではなく、[[自由主義]]や[[愛国主義]]などの単一の観念や革命の理想、反動的な君主専制の体制ではなく、厳然たる理性が示した公理と歴史を土台に、人々を広く等しく包摂する共同体であった<ref name="権左(2013)145-147">[[#権左(2013)|権左(2013)]] pp.145-147</ref>。1817年、1517年に[[マルティン・ルター]]が[[95箇条の論題]]を発表したのを記念した祝典、[[ヴァルトブルク]]城付近で行われた[[宗教改革]]300年祭{{仮リンク|ヴァルトブルク祭|en|Wartburg Festival}}が挙行された。この祭典で各地から集結した学生たちとフリースはドイツ連邦に反対する熱狂的な気勢をあげ、賛同しかねる書物の[[焚書]]をおこなった。この事件はドイツ諸邦の君主からの警戒心を高めた<ref name="澤田(1970)218-219">[[#澤田(1970)|澤田(1970)]] pp.218-219</ref>。
 
[[File:Ermordung August von Kotzebues.jpg|thumb|ザントに刺殺されるコッシェブー]]