「カルロス2世 (スペイン王)」の版間の差分

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1679年に[[オルレアン公]][[フィリップ1世 (オルレアン公)|フィリップ1世]](フランス王ルイ14世の弟)の娘[[マリー・ルイーズ・ドルレアン|マリア・ルイサ]]と結婚したが、虚弱なカルロス2世は性的にも不能だったと推測され、子供を持つことが出来なかった。マリア・ルイサは[[1689年]]に27歳で死去、カルロス2世は後添いとして[[プファルツ選帝侯領|プファルツ]][[ライン宮中伯|選帝侯]][[フィリップ・ヴィルヘルム (プファルツ選帝侯)|フィリップ・ヴィルヘルム]]の娘[[マリア・アンナ・フォン・プファルツ=ノイブルク|マリア・アナ]]を娶ったが、この結婚も成功ではなかった。やがてカルロス2世の[[精神障害]]の症状は悪化し、先妻の遺骸を掘り起こして手元に置くなどの奇行が始まる。こうした奇行を自殺願望の現れ(ただし[[カトリック教会|カトリック教徒]]として自殺は出来なかった)と見る歴史家も居る。
 
後継者を迎える必要から、[[1698年]]に[[続柄#大甥・大姪|又甥]]に当たる[[バイエルン大公|バイエルン公]]子[[ヨーゼフ・フェルディナント (アストゥリアス公)|ヨーゼフ・フェルディナント]](母方の叔父の神聖ローマ皇帝レオポルト1世と同母姉マルガリータ・テレサの孫)を[[アストゥリアス公]]に叙爵したが、翌[[1699年]]に夭折した。他の継承者候補にはヨーゼフ・フェルディナントと同じく又甥に当たるアンジュー公フィリップ(後のフェリペ5世、ルイ14世と異母姉マリア・テレサの孫)と、母方の従弟に当たるカール大公(後の[[カール6世 (神聖ローマ皇帝)|カール6世]]、レオポルト1世の次男)がいた。
 
1700年、カルロス2世はスペイン王位をアンジュー公フィリップに譲ると表明して死亡し、スペイン・ハプスブルク家は断絶した。[[1701年]]2月にルイ14世は[[高等法院 (フランス)|パリ高等法院]]にスペイン王位継承権執行を命令する。以後、[[スペイン・ブルボン朝|スペイン・ブルボン家]]は現代の[[フェリペ6世 (スペイン王)|フェリペ6世]]まで続くスペイン王家となった。