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阿育王寺の[[舎利殿]]には、「釋迦牟尼眞身の舎利」が納められている。
阿育王寺は、[[中国]][[仏教史]]、中国仏教[[交流史]]、[[日中関係史|日中文化交流史]]上、重要な役割を果たしている。唐の[[天宝 (唐)|天宝]]3年([[744年]]、日本の[[天平]]16年)、[[鑑真]]和上が日本に渡るときに、この寺で休息されという。<ref>日 真人元开 《[[唐大和上东征传]]》 52页 华书局 ISBN 7-101-02060-7/K</ref>。また、[[鎌倉時代]]の僧侶・[[重源]]がこの寺を訪れ、帰国後に舎利殿の再建のために日本の[[周防国]]の木材を送った事が知られている<ref>岡元司「周防から明州へ」『宋代沿海地域社会史研究』汲古書院、2012年(原論文:2006年)</ref>。
 
明の文章家、{{仮リンク|張岱 (明)|zh|張岱 (明朝)|label=張岱}}は、阿育王寺に関する一編の文章を記している。そこには、舎利塔について、次のようにある。