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日本における生産量は、[[農林水産省]]の『作物統計』<ref>「27年産豆類(乾燥子実)及びそばの収穫量(全国農業地域別・都道府県別)」『作物統計』、2016年、[[農林水産省]] [http://www.e-stat.go.jp/SG1/estat/List.do?lid=000001145339]</ref>によると、[[2015年]]の生産量はむきみ換算で1万2300トンである。輸入量は、財務省の貿易統計によると9万8867トンであった。県別の生産量では、[[千葉県]]が9590トンで突出しており、78.0%を生産している。特に千葉県中央部の[[八街市]]が生産量では日本一を誇る。県別では[[茨城県]](1500トン、12.2%)が続き、千葉県と合わせると9割を越える。以下、[[神奈川県]]、[[栃木県]]、[[鹿児島県]]が続く。<br />
 
日本で初めて栽培されたのは[[1871年]]に[[神奈川県]][[大磯町]]の農家、[[渡辺慶次郎]]が横浜の親戚で落花生の種を譲り受け、自分の畑に蒔いたもの。花は咲いたが何も実を結ばないので「こんなもの」と足蹴りしたら地中から鞘が出てきて、地下結実性であることが判明した<ref>『落花生 栽培手引き』p47、2010年3月、相州落花生協議会。同時期に神奈川県二宮町の[[二見庄兵衛]]も韓国産「南京豆」の種子を入手し、試作した。後年、この中から立性種を選別した。</ref>。経済栽培に向けて、販売先の確保のため、地元旅館に試食を依頼したが「客は喜んだが、座敷が汚されて困る」と断られた逸話が残っている。その後、明治10年に0.4リットル袋入りにて横浜の[[駄菓子屋]]に売り込んだところ、盛況となり、経済栽培への見通しがたった<ref name=soshu48/>。千葉県においては[[1876年]]より栽培が開始されている。<br />
 
[[ファイル:Boiled big peanuts & normal peanuts, Katori City, Japan.jpg|thumb|200px|塩茹でした[[千葉県]]開発のジャンボ落花生(左)と通常の落花生]]