「根岸住宅地区」の版間の差分
削除された内容 追加された内容
PeachPurin (会話 | 投稿記録) m編集の要約なし |
Thirteen-fri (会話 | 投稿記録) m編集の要約なし タグ: 2017年版ソースエディター |
||
9行目:
住宅385戸の他、[[消防署]]、教会、[[小学校]]、[[保育園]]、独身兵士宿舎、[[レストラン]]、[[プール]]、[[診療所]]などが存在。当住宅地区の[[住居番号]]は500から始まっているが、これは1から499までの住居番号が[[1982年]](昭和57年)に返還された「横浜海浜住宅地区」(横浜市中区[[本牧]])に存在していたため。
慢性的な住宅不足から、[[逗子市]]と横浜市にまたがる[[池子住宅地区及び海軍補助施設|池子住宅地区]]へ数百戸の住宅を建設する条件で、根岸地区の返還が合意された。さらに[[2015年
== 日本人の居住問題 ==
2世帯7人の日本人が周りを根岸住宅地区に囲まれて居住している。[[防衛省]]によれば、米軍施設内で日本人が生活している例は他に無い<ref name="yomiuri150211">[http://www.yomiuri.co.jp/local/kanagawa/feature/CO013451/20150212-OYTAT50007.html 戦後70年 第1部 米軍施設は今:根岸「陸の孤島」に暮らす](読売新聞 2015年2月11日付、2015年9月17日閲覧<small>([http://megalodon.jp/2015-0917-1743-01/www.yomiuri.co.jp/local/kanagawa/feature/CO013451/20150212-OYTAT50007.html 同日付のウェブ魚拓キャッシュ])</small>)</ref>。
2013年12月20日、居住者のうち2名が、長年にわたり[[陸の孤島]]での日常生活を強いられてきたとして国に慰謝料など約1億1千500万円の賠償を求め[[横浜地方裁判所]]に提訴した。外出時は米軍施設のゲートで通行証を提示しなければならない、利用できる宅配便やタクシーが制限されるなどの制約があり、[[イラク戦争]]の際は仕事の後、深夜まで帰宅できないこともあった<ref name="tokyo171012"/>。
== 脚注 ==
{{脚注ヘルプ}}
=== 注釈 ===
{{Reflist|group="注"}}
=== 出典 ===
{{Reflist}}
|