「高島覚」の版間の差分

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{{Infobox baseball player
|選手名 = 高島 覚
|所属球団 =
|役職 =
|背番号 =
|選手写真ファイル名 =
|写真サイズ =
|写真のコメント =
|国籍 = {{JPN}}
|出身地 = [[岩手県]][[一関市]]
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|打席 = 右
|守備位置 = [[投手]]
|プロ入り年度 = {{NPBドラフト|1987}}
|ドラフト順位 = [[ドラフト外入団|ドラフト外]]
|初出場 = 1988年6月11日
|最終出場 = 1991年9月23日
|経歴 =
* [[一関学院高等学校|一関商工高等学校]]
* [[新日本製鐵釜石硬式野球部|新日本製鐵釜石]]
* [[中日ドラゴンズ]] (1988 - 1990)
* [[福岡ソフトバンクホークス|福岡ダイエーホークス]] (1990 - 1992)
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== 来歴・人物 ==
[[一関学院高等学校|一関商工(現・一関学院)]]では[[1981年]]2年生の時にエースとして[[全国高等学校野球選手権岩手大会|夏の甲子園県予選]]決勝に進むが、[[小田英明]]のいた[[岩手県立盛岡工業高等学校|盛岡工業高]]に敗退。その後も県予選で敗れ甲子園には出場できなかった。
 
高校卒業後は、[[社会人野球]]の[[新日本製鐵釜石硬式野球部|新日本製鐵釜石]]に入社。[[1984年]]の[[第55回都市対抗野球大会|都市対抗野球]]からエースとして出場、1回戦で[[Honda鈴鹿硬式野球部|本田技研鈴鹿]]に敗れる。翌[[1985年]]の[[第56回都市対抗野球大会|都市対抗野球]]でも、1回戦でこの大会に優勝した[[日本生命硬式野球部|日本生命]]の[[佐藤清]]らに連続本塁打を喫し敗退<ref>「都市対抗野球大会60年史」日本野球連盟 毎日新聞社 1990年</ref>。
 
[[1987年]]オフ、[[ドラフト外入団|ドラフト外]]で[[中日ドラゴンズ|中日]]入団。

1年目の[[1988年]]から一軍に上がり、[[1989年]]には初先発を果たすが、あまり活躍の場はなかった。

[[1990年]]6月[[杉本正 (野球)|杉本正]]と共に、[[山内和宏]]との[[交換トレード]]で[[福岡ダイエーソフトバンクホークス|福岡ダイエーホークス]]に移籍。同年は7月から先発陣の一角として起用され、初勝利も記録する。翌[[1991年]]も主に中継ぎとして活躍するが、[[1992年]]には登板機会がなく、同年限りで現役引退。
 
引退後は球団に残り、[[打撃投手]]を経て、現在は[[スコアラー]]を務めている。