「ポロス (古代インドの王)」の版間の差分

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ギリシア系史料によれば、[[紀元前327年]]にアレクサンドロス大王がインド西北部に侵入した当時、この地域には3人の有力者がいた。ひとりは[[インダス川]]上流の[[タキシラ]]の王国を父から受け継いで間もない新首長・{{仮リンク|タキレス|en|Taxiles|label=タクシレス}}({{lang-grc|Taxiles}}、{{lang-hi|Ambhi}} アーンビ)であり、もう一人は[[カシミール]]地方を支配する{{仮リンク|アビサレス|en|Abisares}}王、そして最後が東部[[パンジャブ]]のポロス王であった。
 
当時ポロスの領土は[[インダス川]]の支流のひとつ[[ヒュダスペス川]](現在の{{仮リンク|ジェーラム川|en|Jhelum River}})からアケシネス川(現在の[[シェナブ川]])にいたる肥沃な地域にあり、ギリシアの記録によれば[[騎兵]]4千、[[歩兵]]5万、[[チャリオット|戦車]]300、[[戦象]]200を動員できたという。ポロス自身は身長2mを越す巨漢で、勇猛並びない戦士であったとされる。
 
ポロスは長年タキシラの王と争っていた。そのためタキシラの新首長・タクシレスがいちはやくアレクサンドロスに降ったことを知ると、カシミールのアビサレスと結んでマケドニア軍への抗戦を決定し、領国西境のヒュダスペス川でアレクサンドロスの侵攻軍を阻止することにした。