「ナヴォイ劇場」の版間の差分
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なお、サマルカンド国立外国語大学で教授を務めた胡口靖夫は、ナヴォイ劇場の建設に従事した日本人の「私らが昭和20年11月上旬ころに着いたときにはもう建物はほとんどでけていました。これは間違いありません」という証言などから、「日本人捕虜が建設に参加した時には、基礎はもちろん建物本体はほとんどできていた。日本人捕虜が行った作業の中心は、左官・彫刻・寄せ木作りの床張り・大理石の床張り・電気工事などの内外装工事の『仕上げ』であった」と結論付けており、「勤勉に働いた日本人が基礎からレンガを積み上げて“建設”した」とされるのは「伝説」だとして、それが検証なしに広められていることを批判している<ref>[http://blog.silkroad-j.lomo.jp/?eid=1321078 シルクロード日誌5《文化遺産としての「ナボイ劇場」建設の“真実”》その1]</ref>が、実際の建設に携わった抑留者や現地のウズベク人、ならびにウズベキスタン政府が認識している話とは異なっている。
1966年4月26日の[[タシュケント地震]]では、78,000棟の建物が倒壊
== エピソード ==
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