「尾花高夫」の版間の差分

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{{雑多な内容の箇条書き|section=1|date=2009年9月13日 (日) 02:44 (UTC)}}
=== 野球関係 ===
* 高校・社会人と線が細く球威不足で無名だった。当初、社会人捕手の[[中出謙二]](のち[[福岡ソフトバンクホークス|南海ホークス]])を視察に来た、捕手出身のヤクルト・[[片岡宏雄]]スカウトの目に留まる。当時の広岡監督好みの選手と考え指名したところ、広岡に気に入られてすぐに使われ、順調に主力投手に成長していった。
* 一度も押し出し[[四球]]を記録しておらず、2203[[イニング]]連続押し出し四球無しはプロ野球記録である。この間、満塁で打者と対戦した回数は163回。また、毎イニング間にベンチ前でウォーミングアップすることなく[[登板]]出来るほど、肩の仕上がるのが早かった。
* 『血液型性格(?)判断』を信じている。曰く「O型とB型にはいいピッチャーが多い」。ちなみに、尾花の血液型はB型である。
* (全国制覇した[[西田真二]]・[[木戸克彦]]よりも上の世代の為か)PL出身ということはあまり知られておらず、PLの後輩でさえも人に知らされてから慌てて挨拶しに行くことがよくあるという。本人は「隠れPLだからね」と笑う。
* 現役晩年時、入団間もない[[古田敦也]]には「インコースかアウトコース、どっちかに構えとけ」とサインを出させずに自分の配球で投げていた<ref>2012年7月14日放送分の、虎バンにゲスト出演した古田本人が語っていた。</ref>。
* ヤクルトコーチ時代、1998年に[[野村克也]]監督が勇退するのに伴い、自らも投手コーチを辞任。しばらくしてから、ダイエクスから一軍投手コーチの就任要請を受けたが、実は阪神タイガースの監督に就任した野村監督と行動を共にする考えでいた為、野村監督に「自分も(阪神に)連れて行って欲しい」と懇願していたが、「自分はどうせすぐに(阪神の)監督クビになるだろうし、そうなったら(尾花もクビになるだろうから)心もとないから、最初に声をかけてくれたところに行け」と言われた為、ダイエクスのコーチを受諾した。しかし、後に野村から「おい、(ダイエーと福岡での)契約はどうなった?」と電話があり、「明日、契約です」と答え、野村に「今すぐ取り下げろ!」と言われた。(「[[Sports Graphic Number]]」 751号(創刊30周年特別編集「プロ野球 人間交差点 2010」野村克也 × 尾花高夫 対談より)
* 解説者時代の関西弁で温厚な語り口や穏やかそうな表情とは対照的に、典型的な武闘派で、球団、首脳陣の顔色を窺うことなく投手陣には容赦なく叱り飛ばす。ダイエーコーチ時代には、バッテリーコーチだった[[若菜嘉晴]]と、ベンチ内で取っ組み合いの喧嘩になったこともある。
* 理論派でもあり、[[千葉ロッテマリーンズ|千葉ロッテ]]投手コーチ時代、投手と一打者につき得意コース、苦手コース、癖、構え、カウント別の対応等最低20分のミーティングを実践していたことで、[[阪神タイガース|阪神]]からFA移籍してきた[[仲田幸司]]は野球の奥深さに感銘を受けたという。[[東京ヤクルトスワローズ|ヤクルト]]、[[福岡ソフトバンクホークス|ダイエー]]コーチ時代に至っても常に相手打者の資料、データを膨大に用意していたという。
* ダイエーから98年オフのコーチ就任依頼は監督である王自身からの電話だったが、「まさか王さんが直接自分のところに電話してくるはずがない」と思い、王の「もしもし、王ですが」という言葉に「王さんですか?失礼ですがそのような知り合いに心当たりないのですが、どちらにお掛けですか」と答えてしまった。しかし王は「福岡ダイエーホークスの監督を務めております王貞治と申します」と丁寧に返答、これにはさすがの尾花も受話器を握りしめたまま直立不動になってしまった。
* 1999年の[[埼玉西武ライオンズ|西武ライオンズ]]との開幕戦で、王監督に対し、「監督、この試合は何対何で勝つつもりですか?どの程度の得失点を想定しておられますか?」と尋ねた。王はコーチからこのような質問を受けるのは初めてで怪訝そうな顔つきをしていると、「その想定なくしては私はどのように投手を用意したらいいのですか。例えば2対1と3対2では投手継投が大きく異なります」と続けた。王が「君はどう思う?」と聞くと、「[[西口文也]]から二点取れますか?2対1または1対0で勝たないと。いずれにせよ、接戦になるでしょう」と答え、王も頷いた(結果は1対0でライオンズの勝利。西口が完封勝利した)。この試合を機に、試合前に試合展開に応じて投手起用を事前に準備する方式が確立したという。 この年、ホークスは日本一となったが、尾花は他のコーチとの確執が絶えず、王に辞意を伝えたが、彼の手腕を認めた王が「お前の居易いようにするから」との一声で留任を決めたという<ref>飯田絵美「王の道 王貞治を演じきるということ」 [[メディアファクトリー]]</ref>。また、[[島田誠]]の存在も大きく、外様故に軽視されがちだった所を島田に助けてもらった経緯もあり、彼が王の信頼を失いかけた時は自らも島田を助ける等、互いに信頼関係を築いていた(島田の項も参照)。
* ダイエクスコーチ時代、日米野球の投手コーチを務めた時、選手のキャッチボールを見ただけで練習不足であることを見抜き、その選手に「ゲームに出んでいいから、ギャラはチャリティーに寄付しろ」と言い、実際に起用しなかった。
* 近年、監督、コーチでもユニフォームのパンツの裾を隠す穿き方が目立つが、原点に立ち返って、裾を膝下まで上げ、白ソックスにストッキングを着用した穿き方をしている。
* 2012年、アサヒ芸能の企画で巨人の投手コーチ時代に同僚であった伊原と対談し、その中で当時マスコミによって大きく取り上げられていた巨人の裏金問題について「何をいまさら。」と当時の報道の過熱ぶりに疑問を呈した<ref>{{Cite web |url=http://www.asagei.com/5184 |title=球界スペシャル対談 伊原春樹VS尾花高夫(3) |publisher=アサ芸+ ネットで読めるアサヒ芸能 |accessdate=2014-09-11 }}</ref>。