「大淀 (軽巡洋艦)」の版間の差分

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Sinhako (会話 | 投稿記録)
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===連合艦隊旗艦大淀===
[[Image:Japanese cruiser Oyodo in 1944.jpg|thumb|left|600px200px|1944年春に撮影された大淀。1番主砲塔は右舷を指向している。]]
 
[[1944年]](昭和19年)3月6日、大淀を連合艦隊旗艦とする改装がはじまった<ref>[[#大淀生涯]]、254頁</ref>。太平洋戦争では、日清・日露戦争のように艦隊決戦で連合艦隊[[司令部]]が第一戦隊を直率して艦隊の先頭に立つような事態は起こらず、後方で全体指揮を執る状態であり、日本海軍最強の[[大和型戦艦]]・[[長門型戦艦]]が所属する第一戦隊をむざむざ後方で遊ばせる事態に陥った。そこで海軍は潜水戦隊旗艦用として設計された大淀の通信能力に着目し、大型射出機を撤去して従来型の射出機と水上偵察機を搭載、格納庫を改装して司令部施設に変更、連合艦隊の旗艦とした<ref name="指揮官たち242">[[#指揮官たちの太平洋戦争]]242頁</ref>。
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=== 着底大破 ===
[[Image:Oyodo cruiser capsized 1945.jpg|thumb|left|600px200px|横転大破し、着底した大淀。]]
3月19日、呉をアメリカ軍機動部隊の艦載機が襲撃した。日本軍は当初友軍機編隊と判断していたため反応が遅れた<ref>[[#大淀生涯]]、467頁</ref>。大淀は艦中央部右舷への至近弾により艦底を破損し、浸水して右舷に傾斜した<ref name="maru201110" />。また直撃弾1発が煙突付近に命中して罐室を破壊、2発目が第二機関室を破壊して喫水線上部に大孔をあけ<ref>[[#大淀生涯]]、475、477頁</ref>、機関科員を中心に戦死者52名を出した<ref>[[#大淀生涯]]、482頁</ref>。この被害によって6基の缶のうち4基が使用不能となった<ref name="maru201110" />。ドックに入って舷側の穴を塞ぐなどの応急修理は行われたが、破損した機関部の補修など抜本的な修理は実施されず対空火器も一部破損したままであった<ref name="maru201110" />。