「坊ノ岬沖海戦」の版間の差分

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Sinhako (会話 | 投稿記録)
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|campaign=日本本土の戦い
|conflict=[[太平洋戦争]]/[[大東亜戦争]]
|image=[[File:Battleship_Yamato_under_air_attack_April_1945.jpg|600px300px|戦艦大和]]
|caption=第一波攻撃の頃と推定される大和の写真。後部に中型爆弾2による小火災を発生させている。被雷1を受けたが大和は水平を保っている。
|date=[[1945年]][[4月7日]]
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|casualties2=艦載機損失 10機<br />戦死 12名
}}
[[File:YamatoTenGoOfficers.jpg|600px300px|thumb|大和の指揮官たち。1945年4月5日撮影<br />前列左から3番目が伊藤整一中将、右から3番目が第2艦隊参謀長[[森下信衛]]少将である。]]
'''坊ノ岬沖海戦'''(ぼうのみさきおきかいせん)は、[[1945年]](昭和20年)[[4月7日]]に沖縄へ海上特攻隊として向かった[[戦艦]][[大和 (戦艦)|大和]]と護衛艦艇をアメリカ軍の空母艦載機との間で発生した戦闘<ref name="実録九636">[[#昭和天皇実録九巻]]636頁(戦艦大和沈没)</ref>。[[大日本帝国海軍|日本海軍]]が発動した[[天号作戦|天一号作戦]]の一環として第一遊撃部隊([[第二艦隊 (日本海軍)|第二艦隊]]のうち、戦艦大和と[[第二水雷戦隊]]の軽巡洋艦1隻・駆逐艦8隻からなる)は沖縄方面に出撃、[[アメリカ合衆国海軍|アメリカ海軍]]第58任務部隊の[[空母]]艦載機がそれを迎撃した。大和以下6隻が沈没(沈没〈[[大和 (戦艦)|大和]]、[[矢矧 (軽巡洋艦)|矢矧]]、[[朝霜 (駆逐艦)|朝霜]]、[[浜風 (陽炎型駆逐艦)|浜風]]〉、自沈〈[[磯風 (陽炎型駆逐艦)|磯風]]、[[霞 (朝潮型駆逐艦)|霞]]〉)。日本海軍による最後の大型水上艦による攻撃となった。
 
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[[太平洋戦争]]末期の1945年春、[[連合艦隊]]はすでに主力艦艇の多くを喪失していた。戦艦大和以下、生き残った主力艦艇や空母を中心とした新造艦艇の多くは燃料不足のため行動することができず、[[呉港|呉軍港]]などに繋がれていた<ref>[[#大和と日本人]]204-205頁</ref>。[[海龍 (潜水艇)|海龍]]、[[震洋]]といった特攻兵器の生産が優先され、大型軍艦の修理は後回しにされた<ref>[[#海の武将]]148頁、[[#秋元記録]]234頁</ref>。この方針に対し[[伊藤整一]]海軍中将は戦艦の修理を要請して[[井上成美]]海軍次官と対立した<ref>[[#大和と武蔵]]246頁</ref>。結果的に伊藤中将の要望が通り大和と[[榛名 (戦艦)|榛名]]は呉工廠で、[[長門型戦艦|戦艦]][[長門 (戦艦)|長門]]は横須賀で修理することが決定した<ref name="秋元メカ234">[[#秋元記録]]234頁</ref>。その後、軍令部は燃料がなくなった戦艦を浮砲台として軍港に繋ぐ予定だったが、連合艦隊は1945年2月5日、第二艦隊を特攻に使用したい意向を明らかにした。そこで大和と矢矧の第二艦隊を残すことにした<ref>[[#原/吉田満]]13頁「作戦準備 特攻作戦策定責任の所在 軍令部作戦課野村実大尉の証言」</ref>。
 
以前から連合艦隊司令部では、連合艦隊首席参謀[[神重徳]]大佐が海上特攻の実施を主張していた。神参謀は、つねづね局地戦に大型艦をうまく使えるとの信念をもち、沖縄上陸戦の攻防にも参加させるべきと意見を抱いていた。[[マリアナ沖海戦]]惨敗後の[[サイパンの戦い]]で、日本海軍は[[東条英機]][[東條内閣|内閣]]の打倒と[[嶋田繁太郎]]海軍大臣の更迭を巡って紛糾<ref>[[#海上護衛戦(角川)]]276-277頁</ref><ref>[[#昭和天皇実録九巻]]376頁『(昭和十九年六月)二十六日 月(宣仁親王と御対面/博恭王の海軍大臣更迭意見)』</ref>。その際、神は戦艦・巡洋艦による突入作戦を具申したこともあった<ref>[[#海上護衛戦(角川)]]284-285頁</ref>(神自身は、[[扶桑型戦艦]]2番艦[[山城 (戦艦)|山城]]もしくは[[長門型戦艦]]1番艦[[長門 (戦艦)|長門]]艦長を希望。そのときは[[中澤佑]]軍令部作戦部長に「砲を撃つには電気系統が生きてなければならない」と却下された{{Sfn|中澤佑|1979|p=142}})。
 
連合艦隊参謀長[[草鹿龍之介]]中将はそれをなだめていたが、神は「大和を特攻的に使用した度」と軍港に係留されるはずの大和を第二艦隊に編入させた。司令部では構想として海上特攻も検討はされていたが、沖縄突入という具体案は草鹿参謀長が鹿屋に出かけている間に神が計画したものであった。神は「航空総攻撃を行う奏上の際、陛下から『航空部隊だけの攻撃か』と下問があったではないか」ということを強調していた。神は参謀長を通さずに連合艦隊長官[[豊田副武]]大将に直接決裁をもらってから「参謀長、意見はどうですか?」と話したので、草鹿は「決まってからどうですかもないと腹を立てた」という。連合艦隊長官[[豊田副武]]大将は「大和を有効に使う方法として計画。成功率は50%もない。うまくいったら奇跡。しかしまだ働けるものを使わねば、多少の成功の算あればと思い決定した」という。連合艦隊参謀[[淵田美津雄]]大佐も「神が発意し直接長官に採決を得たもの。連合艦隊参謀長は不同意で、第五航空艦隊も非常に迷惑だった」という{{Sfn|戦史叢書93|1946|pp=273-275}}。
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=== アメリカ海軍の対応 ===
アメリカ海軍は、「マジック」極東情報が行った日本軍の暗号電報の傍受と解読と、[[B-29 (航空機)|F-13]](B-29の偵察機型)の空中偵察により「大和」出撃についてほぼ全容を把握していた<ref>[[#原真相]]132頁</ref>。
 
4月3日菊水一号作戦発動を「天信電令作第39号」の解読により察知し、
4月3日菊水一号作戦発動を「天信電令作第39号」の解読により察知し、4月4日の「GF電令作第601号電番」などにより突入の日が6日であること、4月5日には「第一遊撃部隊が6日に徳山で燃料を補給すべし」との連合艦隊司令長官の指令を、4月6日には天一号作戦部隊発の沖縄特別根拠地隊宛の「GF電令作第607号電番」解読により第二遊撃部隊が海上特攻隊であること、さらに「GF電令作第611号電番」により大和以下8隻の駆逐艦と矢矧であることを、そして、あらかじめ6日夕刻ごろに艦隊が豊後水道を出撃せよとの連合艦隊の命令まで解読しており、潜水艦に「敵艦隊が被害を受けて引き返すことのないよう」魚雷発射を禁止して、哨戒配置につかせていた。また、F13(偵察型のB29)による偵察で、午前9時30分に呉西方を行動中の駆逐艦6隻と大型艦の行動を捕捉し、6日の日没後にはついに豊後水道通過時に艦隊は米潜水艦SS295「[[ハックルバック_(潜水艦)|ハックルバック]]」がレーダーにより発見して追跡、しばらくの間接触を保つことができた。これによりアメリカ艦隊は、暗号情報が正しいことを確認できた。
4月4日の「GF電令作第601号電番」などにより突入の日が6日であること、
4月5日には「第一遊撃部隊が6日に徳山で燃料を補給すべし」との連合艦隊司令長官の指令を、
4月6日には天一号作戦部隊発の沖縄特別根拠地隊宛の「GF電令作第607号電番」解読により第二遊撃部隊が海上特攻隊であること、
さらに「GF電令作第611号電番」により大和以下8隻の駆逐艦と矢矧であることを、
そして、あらかじめ6日夕刻ごろに艦隊が豊後水道を出撃せよとの連合艦隊の命令まで解読しており、潜水艦に「敵艦隊が被害を受けて引き返すことのないよう」魚雷発射を禁止して、哨戒配置につかせていた。また、F13(偵察型のB29)による偵察で、午前9時30分に呉西方を行動中の駆逐艦6隻と大型艦の行動を捕捉し、6日の日没後にはついに豊後水道通過時に艦隊は米潜水艦SS295「[[ハックルバック_(潜水艦)|ハックルバック]]」がレーダーにより発見して追跡、しばらくの間接触を保つことができた。これによりアメリカ艦隊は、暗号情報が正しいことを確認できた。
 
これらの情報から、アメリカ軍のアイスバーグ作戦指揮官[[レイモンド・スプルーアンス]]長官は[[モートン・デヨ]]少将の第54任務部隊(旧式戦艦部隊)に対し、カミカゼに備する機動部隊に代わり日本艦隊が日本本土の基地に後退できない、かつ九州の日本軍機の援護を受けられない南方まで誘い出し大和を撃沈せよと命じた。海戦は4月7日の夜間に予定されており、優勢な大和に対して、アメリカ戦艦は数とレーダー射撃の正確さにより勝利できると考えたのである。
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=== アメリカ軍攻撃隊発進 ===
[[File:Yamato2.jpg|thumb|600px| right300px|アメリカ軍艦載機部隊[[ヘルダイバー]]による大和(中央左)への攻撃の開始。大和の右舷側を護衛するのは雪風(中央右)。]]
[[File:Yamato maneuvering.jpg|thumb|600px| right300px|艦載機の攻撃を受け、回避行動を取る大和。]]
[[File:Yahagi 02.jpg|thumb|600px| right300px|魚雷と爆撃による猛攻を受ける矢矧]]
[[File:Yamato before attack.jpg|thumb|300px|左舷に魚雷を受け艦が傾斜した大和(右)。護衛するのは雪風(左)。|600px| right]]
[[File:Yamato and destroyer.jpg|thumb|300px|大和を護衛する冬月(左)が後部高角砲を発砲した瞬間。後方に大和。|600px| right]]
[[File:Yamato explosion.jpg|thumb|600px| right300px|大和の爆発]]
一方、アメリカ軍の偵察機は日本艦隊を追跡した。8時15分、3機の[[F6F (航空機)|F6Fヘルキャット]]索敵隊(ウィリアム・エスツス中尉)が大和を発見した<ref name="スパー225">[[#スパー運命]]225頁</ref>。8時23分、空母エセックスのジャック・ライオンズ少尉隊も第二艦隊に接触し、大和は沖縄へ向かっていると報告した<ref name="スパー225" />。ミッチャー中将は付近のヘルキャット16機に接触を続けるよう命じる。ミッチャー中将は攻撃隊が飛行する距離が長いことを考慮し、不時着回収機として「空飛ぶ象」と呼ばれたマーチン飛行艇を配置することにした<ref>[[#スパー運命]]230頁</ref>。その他の支援艦艇も、航空攻撃が失敗に終わった場合に備えて日本艦隊阻止のため集結した。8時40分、日本艦隊もヘルキャット隊を発見する<ref>[[#第2水雷詳報(2)]]p.29</ref>。10時、日本艦隊は西に向きを変え撤退するように見せかけたが、11時30分に沖縄本島へ向けて進路を変えた。