「アジア系南アフリカ人」の版間の差分

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19世紀後半の[[ヨハネスブルグ]]周辺の金鉱労働者と南アフリカへ来た出稼ぎ労働者の子孫である。出稼ぎ労働者の多くは本国に帰還したが、一部が南アフリカにそのまま残り、生活圏を構築した。1980年代初頭には約10,000人程度だったが、現在は約100,000人以上に増加している。
 
アパルトヘイト時代は、[[中華人民共和国]]の移民は黒人ではなくとも被差別人種の[[カラード]]・[[インド]]系とともに一般的に被差別人種だったして分類される、1980年代には[[中国語]]を話す他の[[華僑]や[[華人]]と見分けのつかないことと曖昧な法的地位から投票権を除いて事実上名誉白人に準じた扱いとなっていた<ref name=wsj8619>{{Cite news|url=https://www.iol.co.za/business-report/opinion/chinese-people-fall-in-grey-area-of-bee-scorecard-729718|title=In South Africa, Chinese is the New Black |work=|agency=[[ウォール・ストリート・ジャーナル|WSJ]]|date=2008-06-19|accessdate=2017-11-24}}</ref>。[[中華民国]](台湾)とは国交を結んでいたため、日本人や[[香港]]出身者<ref>[https://web.archive.org/web/20080709144156/http://www.time.com/time/magazine/article/0%2C9171%2C895835%2C00.html South Africa: Honorary Whites], ''[[TIME]]'', 19 January 1962</ref><ref>[https://books.google.co.uk/books?id=1npFnaydPJEC&lpg=PA215&ots=j5Pqt5jmMS&dq=%22honorary%20white%22%20south%20africa%20%22hong%20kong%22&pg=PA159#v=onepage&q=%22hong%20kong%22&f=true ''A Matter of Honour: Being Chinese in South Africa''], Yoon Jung Park, Lexington Books, 2008 page 159</ref>とともに台湾人は正式に[[名誉人種|名誉白人]]だった。[[2008年]][[6月18日]]に南アフリカの高等裁判所において中国系住民はインド系と同様に経済権限付与計画で黒人認定を受けることとなった<ref name=wsj8619/>。
 
== 脚注 ==