「第五共和国 (大韓民国)」の版間の差分

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[[全斗煥]]政権は、[[1988年]]開催の[[近代オリンピック|オリンピック]]をソウルへ招致したこと([[ソウルオリンピック]]開催の決定)で、外交的な成功を収めた。その一方で、[[1983年]][[9月1日]]には[[大韓航空機撃墜事件]]が発生し、[[全斗煥]]政権が[[ソビエト連邦]]政府に公式謝罪を求めた他、韓国国内では大規模なデモが実施された。
 
対[[朝鮮民主主義人民共和国|北朝鮮]]関係では、[[1980年代]]にさまざまな重大事件が発生した。[[1983年]][[10月9日]]には、[[ビルマ]](現・[[ミャンマー]](当時はビルマ)を公式訪問中であった全斗煥一行の暗殺を狙って、北朝鮮の工作員が[[ラングーン事件]]を引き起こした。これにより、80年代初頭の南北[[朝鮮]]は一時緊張状態にあった。だが、80年代半ばに関係は好転し、[[1985年]]には[[朝鮮戦争]]以来初めてとなる[[離散家族]]の相互訪問が実現された。しかし、[[1987年]][[11月29日]]には[[朝鮮民主主義人民共和国|北朝鮮]]工作員の[[金賢姫]]らによる[[大韓航空機爆破事件]]が発生し、南北関係は再び険悪化した。
 
対[[日本]]関係では、[[1983年]]に[[日本]]の[[中曽根康弘]][[内閣総理大臣|首相]]の訪韓を実現させ、[[1982年]]開始の経済開発5カ年計画への支援として、40億[[ドル]]に及ぶ円借款で対韓経済協力を得ることに成功した。また、[[1984年]][[9月]]には、全斗煥が韓国[[大統領 (大韓民国)|大統領]]として初めて日本を公式訪問した。