「フレデリック・ルイス (プリンス・オブ・ウェールズ)」の版間の差分
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'''フレデリック・ルイス'''(Frederick Louis, [[1707年]][[2月1日]] - [[1751年]][[3月31日]])は、[[グレートブリテン王国|イギリス]]・[[ハノーヴァー朝]]の王族でイギリス[[イギリス君主一覧|国王]]兼[[
== 経歴 ==
1707年、[[ハノーファー]]で
プリンス・オブ・ウェールズに叙された後でさえ「ハノーファーのプリンス・フリードリヒ・ルートヴィヒ」として知られていた。両親と長く離れていたこともあって素行が悪く、渡英後は特に母とは死ぬまで険悪な関係であった。政界でも父であるジョージ2世と対立し、[[イギリスの首相|首相]][[ロバート・ウォルポール]]に反発して[[1741年]]の総選挙で足並みを乱し、翌[[1742年]]のウォルポール辞任に繋げた。[[ヘンリー・ペラム]]政権でも野党と組んで対立したが、1751年、父ジョージ2世に先立って急逝した。長男ジョージ・ウィリアム・フレデリックが新たにプリンス・オブ・ウェールズに叙され、[[1760年]]に[[ジョージ3世 (イギリス王)|ジョージ3世]]として王位を継承した。
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